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アネモメトリ -風の手帖-

風を知るひと 自分の仕事は自分でつくる。日本全国に見る情熱ある開拓者を探して。

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#96

音楽から占いまで。経験をつなぎ、道をひらいていく
― 浜田実弥子

(2020.11.08公開)

浜田実弥子さんの活動を、一言にまとめるのは難しい。ピアノ講師や、作曲家による現代音楽の公演や活動、「グループNEXT」(以下、NEXTでのマネジメントといった音楽がベースにありつつも、ライターとしての仕事や、はたまたタロット占い師という一面も持っている。しかしそれらは独立したものではなく、ひとつひとつの経験が複雑に絡み合い、脈々と続いていると浜田さんは話す。時間を遡りながら、これまでについて伺った。

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———浜田さんはどんな幼少期、青年期を送られてきたのでしょうか。

わたしは子どものとき、青森県の下北半島のなかを転々として育ち、海峡の向こうには北海道・函館が見えていました。自然豊かで日本地図を肉眼で確認できるような地で育ちました。音楽の習い事を一生懸命するような環境ではなかったんですけど、両親が学校の教師で、たまたま家にオルガンがあったんですね。あと、近くのカトリック教会に修道院があり、たまに函館の修道院のシスターたちもいらしていました。聖堂で聴いたシスターたちの歌だったり、葬式の念仏や読経だったり、そういうものに思いがあったといいますかね。それで、家にあるオルガンで、なんとなく聖歌をポンポンと弾いていた。それがわたしの全部のベースですね。ピアノはずっと続けていて、将来的にも音楽をやるんだったら、作曲家のバルトーク・ベーラの研究をしたいと思っていました。
一方で、詩人や小説家になりたいっていう夢見心地な中高生時代を過ごし、文章を書きたいという気持ちもありました。25歳くらいから、占いプロダクションに所属し、デパートやアミューズメント施設などで、占いの対面鑑定をしていました。そんなことも重なり、ライターとして雑誌で執筆していたときには、いくつかの雑誌で占いページをつくるにあたり、「浜田さんに任せてみよう」というような成り行きで、占いコーナーの担当もしました。ピアノを教えて、NEXTのマネージャーを務めていて、フルタイムの仕事はできなかったので、外部ライターとして仕事をしていました。ライターとしては主に、音楽、本、映画、教育、ニュース、占いなどを書きました。

———現在もピアノを教えていらっしゃるそうですが、どのように始められたのでしょうか。

最初は教えるなんて、とんでもないと思っていました。たまたまボランティアで病気療養中の子どもたちに教える機会がありまして、そこで教えているうちにいつの間にか生徒が増えちゃったんです。研究していたバルトークは、ピアノメソード『ミクロコスモス』をつくったことでも知られていて、研究を活かせるなって気持ちもありました。
あるとき、生徒のなかにどうしてもわたしと話をしてくれない子がいたんです。当時、ファミリーコンピュータが流行っていまして、誰かがマリオの話をしだしたら、その子が目の色を変えて話し出したんです。わたしも見よう見まねでゲームの音楽をピアノで弾いたらすごく喜んじゃって。この子とコミュニケーションをとるにはゲームをやるしかないなって思って、なにも知らないまま、ゲーム機本体とソフトを買いました。そうしたら面白くなっちゃって、ゲーム雑誌でも、外部ライターとして仕事をいただきました。
占いや音楽にかかわらず、ゲーム雑誌や娯楽雑誌でも仕事を始めたのは、ピアノの生徒とコミュニケーションを取る材料が偶然ファミコンだっただけですから。でも、20年ぐらいそこでも仕事をしました。

ピアノ教室では、1年に1度教室外での発表の機会を設けている

ピアノ教室では、1年に1度教室外での発表の機会を設けている

———浜田さんの著作に、「ポケモン」のキャラクターを起用した音楽教材本『ポケモンおんがくわーく』『ポケモンおんぷカード』『ポケモンわおんカード』(※)などがありますね。ここにもゲームと音楽というつながりがあるようですが……

ピアノを教えていますが、あえて特定のメソードに縛られないようにしています。大好きで研究していたバルトークの『ミクロコスモス』も、その場その場でベストと思われるやり方を選択してきました。なので、生徒によってレッスンの進め方も使用するテキストもそれぞれです。音楽史も伝えたくて、楽典プリントと一緒につくって渡していました。
プリントをコピーしながら使っていたんですが、たくさん溜まったので本にまとめられたらいいなと思い、あるとき出版社に企画を持ち込んだんです。当時、ゲーム雑誌のライターをしていたこともあり、ポケモンを起用した音楽教材をつくることにつながりました。

(※)『ポケモンおんがくわーく』『ポケモンわおんカード』は現在販売を中止している。

———さらに別の著作として、『駒ちゃんは片翼のオオハクチョウ』もあります。この本を出版するにいたった経緯を教えてください。

当時の夫(作曲家)がパニック障害で働けなくて、そもそもお金が大変だったんです。そこで一回東京を離れたんですよ。新潟の夫の両親と同居することになり、2008年ごろに引っ越しました。失意の都落ちみたいな感じで新潟に行ったはいいけど、毎日散歩するしかなくて。歩いていた湖畔に、怪我で北に帰れなくなった白鳥が定住していたんですね。この白鳥はオオハクチョウ。渡り鳥ですから、春から秋の初めまでシベリアにいて、日本に飛来するのは10月から4月初めまでです。夏場に日本に留まるのは、かなり辛いはず。地元のひとたちと一緒になって3年ぐらい観察しながら面倒をみていたら、この白鳥のことを記録に残さなきゃいけないと思ったんです。夏場の白鳥は北にいなくちゃいけないところ、野生の本能を失わないながらも日本の環境に適応して、かしこく生きているわけです。それがすごく胸に響いてですね。ブログは書いていたんですけど、ちゃんと本に残したいなと思いました。
この本は児童書で、小学校3、4年生から上ぐらいを対象にしています。わたし自身は、子ども時代を白鳥の飛来地の1つである青森県で過ごしているので、白鳥を身近に見て育ちました。だけど、ピアノを教えている千葉や埼玉の子たちは、白鳥は動物園か、「白鳥の湖」のなかでしか知らないんですよ。ぜひその子たちに紹介したかった気持ちもありました。『駒ちゃん』を書くときは、白鳥も見たことのない、ピアノの生徒でもある、千葉県在住の小学校3年生の女の子に協力してもらって、彼女に理解できる表現で書きました。
たまたまですが、本の出版直前に夫が亡くなったことも重なり、いろんな地方紙で取り上げていただいたり、いくつかコンクールで課題図書にもなったりしました。1冊の本で、こんなに幸せな経験をしてもいいのかと思うぐらい。この本が4年ぐらい、わたしの活動の大きなものになりました。新潟や北海道、京都でお話させていただく機会もありました。
もし、生活に困らずに東京にいたら、書くことはなかったと思うんです。さらにじっくり観察できたことも、突き動かされるきっかけになりましたね。

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浜田さんが、周囲の人々と交流しながら観察を続けた、駒ちゃん。専門家の話を聞いたり調べたりしながら知識を深め、執筆をした。出版後は、さまざまなメディアで取り上げられたり、講演の機会を得たりしたそう

浜田さんが、周囲の人々と交流しながら観察を続けた、駒ちゃん。専門家の話を聞いたり調べたりしながら知識を深め、執筆をした。出版後は、さまざまなメディアで取り上げられたり、講演の機会を得たりしたそう

———すべての経験がつながっていきますね。

そうなんです。目的を目指すよりも、やっているうちにこんなのもいいんじゃないかなって始めてみたら、続いてしまったという感じでしょうか。自然消滅したものもあれば、続くものもある。目的にしていなかったら、なくなってもそんなにショックじゃないし、また別の道がひらけるだろうと思っています。それも貪欲に求めるんじゃなくて、そのうちふっと目についたものに何かご縁があればいいかなって感じで生きてきました。今でこそ非正規雇用の方が多くて大変ですけど、わたしたち音楽家にとっては最初から就職なんて考えられないというか。ダブルワーク、トリプルワークを平気でやっていました。だから、今の世代の方とそんなにかわらない人生を歩んでいると思うんです。
あとは、20代のころはあちこち大学を受けていて、音大にも、一般大学にもいきました。お金が続かなくて、卒業したのかわからない学校もあります(笑)。わたしは、学びは遊びだと思っているんです。そこで得たものは絶対どこか引き出しのなかにしまえるものだと思っていて。学びの仕方さえ学べられれば、あとは自分でなんかできるんじゃないかなと。

———もうひとつ重要な活動の柱、「グループNEXT」での取り組みについて教えてください。現代音楽の作曲家たちのグループで、浜田さんはマネージャーをご担当されています。

NEXTは作曲家の夫とともに、1998年旗揚げしました。以来、年に一度固定化された作曲家メンバーの新作初演を中心とした作品展(演奏会)をしています。アンデパンダンなグループなので、毎回テーマを決めず、書きたい作品を持ち寄って自由に演奏しています。
わたしも、作曲家だった当時の夫も、演奏会や作品展を若いころからいっぱい手伝ってきて、消滅する団体もたくさん見ていたんです。とにかく長く続けていくために、作曲家同士で話し合いをさせるのではなく、「事務的なことはこちらが引き受けるから、いい作品をつくってください」という決まりで、NEXTを始めました。

———そうなると、マネジメントをする浜田さんの役割が大変重要になりますね。

お客さんも、現代音楽を好きなひとだけでは絶対広がらないので、なるべく音楽会にはじめて来るようなひとを呼んでいます。おかげさまで音楽畑じゃないまったく別のところから入ってきて、固定客になった方が何人もいらっしゃいます。会場に知り合いしか来ない演奏会も多いんですが、それは嫌で、とにかくいろんなひとに来てもらおうってことで広報もしています。
夫は亡くなってしまったので、彼の曲は再演になるんですけど、まったく音楽の畑じゃないお客さんが「やっぱり再演は面白い」っておっしゃるんです。2回目、3回目とまた違うもんだなって。例えばベートーベンやモーツアルトなどは、膨大な回数再演されていますけど、音楽ってこうして育てられていくんだなって、身をもって体験しているんです。

グループNEXTのメンバー。毎年6月にすみだトリフォニー 小ホール(東京)で作品展を行っている

グループNEXTのメンバー。毎年6月にすみだトリフォニー 小ホール(東京)で作品展を行っている

———NEXTはすでに20年以上の歩みがありますが、今後はどのように続いていくのでしょうか。

いずれ代替わりしなきゃいけないなと思っていて。30代の作曲家がひとり入ってくれたので、「いずれはあなたの代になるから自由にしてちょうだい」と言っています。NEXTの名前を永遠に残してほしいとも思わなくて。続けても、やめても、彼が好きにやってくれたらなって思いますね。

———浜田さんご自身の展望はいかがでしょうか?

音楽の教材の出版は続けていきたいですね。現在も、いつくか出版準備中のものもあり、音楽教材もあります。ピアノも細く長く。先生としても、生徒がいるうちは続けていきたいです。障害のある子にも教えているので、そういった面も勉強したいですね。NEXTは続けられるだけ続けて、いずれ若いひとにバトンタッチして、グループが続くようであれば育てたいです。自分でも、自分を縛らずにやっていけたらと思っています。

———目下の課題や、自分だけのことに限らず、次世代の未来も見据えていらっしゃる印象を受けました。

そういうことを考えるようになってきました(笑)。絶対後世に残さねばというのではなく、自分だけで抱えてできることは少ないし。
考えるようになったのは、最初の夫が亡くなって、白鳥が亡くなってからですかね。わたしにも新しい生活が始まって、ひとはやっぱりそんなに強くないんだなって、思ったんです。

取材・文 浪花朱音
2020.10.2
 オンライン通話にてインタビュー

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浜田実弥子(はまだ・みやこ)

1961年、青森県生まれ。1984年よりミクロコスモス音楽教室を主宰。日々のレッスンで試行錯誤を繰り返しながら使用したオリジナルのテキストを元に、『ポケモンおんがくわーく』『ポケモンおんぷカード』『ポケモンわおんカード』をドレミ楽譜出版社より出版。
1998年より作曲家集団グループNEXTを結成。2012年より代表とマネージャーをつとめ、毎年、作品展(演奏会)を開催。
1985年よりフリーライター。
2012年、新日本出版社より『駒ちゃんは片翼のオオハクチョウ』を出版。京都新聞社の「第45回お話を絵にするコンクール」、第12回大阪こども「本の帯創作コンクール」で課題図書に選ばれる。新潟、帯広、京都など、各地でお話会や講演で演者をつとめる。
全日本ピアノ指導者協会正会員。これまで、音楽学を坂崎紀、安藤博、ピアノを武田真理、清川美也子の各氏に師事。


浪花朱音(なにわ・あかね)

1992年鳥取県生まれ。京都造形芸術大学を卒業後、京都の編集プロダクションにて書籍や雑誌、フリーペーパーなどさまざまな媒体の編集・執筆に携わる。退職後は書店で働く傍らフリーランスの編集者・ライターとして独立。2017年より約3年のポーランド生活を経て帰国。現在はカルチャー系メディアでの執筆を中心に活動中。