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アネモメトリ -風の手帖-

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#50

アイデンティティの間(はざま)で生まれる絵
― 芹澤マルガリータ

(2017.01.05公開)

日本画家の芹澤マルガリータさんは、その名前からピンとくる通り、ふたつの故郷と言える場所を持っている。しかし彼女が描き出す風景は、いわゆる想像通りの日本画とは異なったように見える。現在の作品が生まれるまでに、どのような過程があったのかをたずねてみた。

《in the light》(2016)

《in the light》(2016)

———芹澤さんは、生まれはロシアとのことですが、どのような幼少期を過ごされたのでしょうか。

父がロシア人、母が日本人で、モスクワで生まれました。小学校1年生が終わるまで住んでいて、当時は日本に移るつもりはなかったので、現地の子どもたちが通う学校に通っていました。当時はソビエト連邦の終わり頃で、国の情勢が不安定になってきていたのもあり、日本に移ったんです。
もともとロシア語、日本語の両方を喋っていたので、言葉に不便はなかったんですが、日本にいるとハーフって珍しがられるんですよね。ロシアは大陸なので、インド系、ユダヤ系とたくさんの人種のひとがいることもあり、子ども同士で、差別的な扱いはお互いになかったように記憶してます。ですが、日本ではいまでこそハーフは珍しくなくなりましたが、当時は小学校に自分ひとりだったので、物珍しく見られることはありましたね。

———芸術に触れる機会は多かったのでしょうか?

当時ロシアには、美術や音楽の授業というものがなかったんです。だから芸術は学校で教えるものではなく、各家庭で触れるものだったんですね。ロシアの子どもって、美術館で大人しく鑑賞したり、大人と同じようにバレエを見たりするのが当たり前なんですよ。日本じゃあまり見られない光景ですよね。わたしもずいぶんいろいろと連れていってもらっていたようなので、芸術への興味はそこから湧いたのかもしれません。

———その後、横浜から京都の芸大へと進学され、日本画を描き続けてこられています。日本画を選んだきっかけは何だったのでしょうか?

絵を描くことがずっと好きだったので、自分の得意なことで選ぼうと思い、芸大に進学することに決めました。理数や語学が抜きんでて得意、などもなかったですし、自然な選択でした。場所を京都に決めたのもそうで、大学に通うなら、好きな日本美術がある京都もいいなと思って。
高校生ぐらいまでは、デザイン系に進もうと思っていました。関東圏のデザイン系美大受験は、平面構成の課題が有ったのですが、空間とモチーフを線や色で構成していくというのが苦手で。日本画は、デッサンや着彩など、目の前にあるものを忠実に描くんです。まずは受験コースを選択するタイミングで、後者のほうが自分にあっていると思いました。
日本画そのものに惹かれたのは、東京の美大が集まって卒業制作展を行う「五美大展」を見たのがきっかけです。はじめて日本画の絵の具というものを見たとき、キラキラしていると感じて。油絵にあるようなムラッとした質感でもなく、アクリルのようなべたっとした質感でもなくって。自分が制作をするなら、日本画のこの絵の具を使いたいと思いました。

———現在は風景を中心とした日本画を描かれていますね。

ずっと自分の根っこには、アイデンティティの問題があって。どっちでもあってどっちでもない、ということがずっと渦巻いていたんです。ロシア語はしゃべれるけど、もう日本の生活の方が長いので立ち振る舞いが完全に日本人になってしまっていて、ロシアに行くと「あなたはロシア語を話しているけど、日本人でしょう?」って言われたりするんです。反対に、日本だと、日本人のつもりなのに、「外国人」だと思われる。結局自分ってなんだろう、どっちかでいないといけないんじゃないかと思ってきました。
そんな中日本画の技術を使って、ロシアを描くのが自分らしい表現なのかなと思い、最初はロシアの風景を描きはじめました。そうすることで、何か答えを見つけられないかな、とも思っていましたね。祖父母がウラジオストクにいるので、まずはそこに取材に行っていくつか描きました。ですが、元々治安があまり良くないので一人で取材という訳にも行かず、その後大学院生のときは、ベルギーやオランダ、チェコなどで取材をしました。ヨーロッパ諸国の大きな建築物が立ち並んでいたり、道の広がりだったり、生まれ故郷のモスクワに似た空気感を感じたんです。そこから記憶にあるロシアをイメージしつつ、制作をしていましたね。
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上から《おもいで》(2007)、《ゆらめき》(2008)。ともに大学院生の時に制作。「おもいで」は、故郷のロシアをイメージしたもの。

上から《おもいで》(2007)、《ゆらめき》(2008)。ともに大学院生の時に制作。「おもいで」は、故郷のロシアをイメージしたもの

———そういった制作を続けるなかで、心境に変化はありましたか?

大学院を修了するときに、どちらでもなく、このままでいいんだって結論に行き着きました。だから現在はロシアへの思い入れはそんなに強くはなくて、それよりも自分が目にして、感動した風景を描いていきたいと思っています。

———より描かれるものが自由になったように感じますが、描きたいと思う風景とは何なのでしょうか。

わたしは色や光にすごく反応しますね。あとはどこまでも続いていくような道や、ゆらめく水面にひかれることが多いです。色ももちろん実際の風景とは違うんですが、日本画っぽくない色だと言われることも。日本画の一般的イメージって、平面的な表現なのかなと思うのですが、わたしの色や空間の表現がそうではないからなのだと思います。たしかに発色が落ちないようには気をつけていますが、チョイスは自分にとっては自然なものなんです。反対に濁った色の方が使うことができません。むしろ、どうやったらそういう表現ができるのかがわからないですね。
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上から《Summertime》(2016)、《古の街》(2015)。

上から《Summertime》(2016)、《古の街》(2015)

———日本画をイメージしたときの色合いと異なるのもそうですが、芹澤さんの日本画は、どこか無国籍な印象を抱かせます。

そう……かもしれませんね。その無国籍感っていうのが、自分らしくていいかなと思います。また最近は、あまり描いてこなかった日本の風景も描いてみたいと考えていて。なぜ描かなかったというと、多分、いわゆる「日本画家」っぽい作品になりたくなかったんです。古典的な日本画を見る分には好きですが、それを自分で描く意味を感じなくて。でもきっと今ならそうはならず、自分らしいものが表現出来る気がするので挑戦してみるのも悪くないと感じています。
絵を描く上で、自分の見ているもの、感じているものを切り取りたいと思っています。そして何より作品は飾って気持ち良く見てもらえるものでありたいと思っています。元気をくれたり、安らかな気持ちにさせてくれたり、ずっと見てもらえるもの、そんな作品を作っていきたいと思っています。

インタビュー・文 浪花朱音
2016.12.11 オンライン通話にてインタビュー 

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芹澤マルガリータ(せりざわ・マルガリータ)

ロシア生まれ。
2009年京都造形芸術大学大学院 芸術表現専攻日本画領域修了。
鮮やかな色彩で主にヨーロッパなど海外の風景を描き、東京を中心に発表を行っている。
ロシア、京都、東京にて個展開催。
http://www.margarita-s.com


浪花朱音(なにわ・あかね)

1992年鳥取県生まれ。京都造形芸術大学卒業。京都の編集プロダクションにて、雑誌や書籍の編集に携わったのち、現在はフリーランスで編集・執筆を行う。