アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

風を知るひと 自分の仕事は自分でつくる。日本全国に見る情熱ある開拓者を探して。

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#13

手打ちうどんから地域をひらく
― 竹原妙

(2013.12.05公開)

 益子町で陶芸作家として活動していた女性がある日、日本各地でうどん修行中の青年と出会った。遠距離恋愛を経て、結婚を機に夫の故郷・京都府綾部市志賀郷に移住。2010年、夫婦の苗字から一文字ずつとって名付けた「竹松うどん店」をオープンさせた。1時間に1本のバスを乗り継いで訪れた、赤い屋根と煙突が目印の店は、子どもたちの「いただきます」と「ごちそうさま」の声であふれていた。

——そもそも、なぜ陶芸の道に進まれたのですか。

美術系の高校に通っていたのですが、そのときにいちばんうまくいかなかったのが陶芸だったんです。でも土を触る感触がすごく気持ちよくて。うまくいかないからこそ、やってみようと思ったのが始まりです。
私は福岡生まれ、大阪の新興住宅地育ちなのですが、それから京都、栃木、綾部と、引っ越すにつれ、住む地域がどんどん田舎になっていっているんです。益子に引っ越したのは、短大時代に焼き物の産地をひとりで巡っていて、訪れたのがきっかけですね。道行く人びとの親切で、ちょっと世話焼きなところに感動したんです。田舎ならではの人の温かさと開放的な街の雰囲気が気に入って。ここに住みたい!と直感的に決めました。大学卒業後の20歳から栃木県益子町で暮らし、窯業指導所という職業訓練校で勉強した後、弟子入りし独立して陶芸作家として活動していました。

——そのときにご主人の竹原友徳さんと出会われたんですね。

ちょうど同時期、主人は修業後大好きなうどんをもっと学びたいと「日本一周うどん行脚の旅」をしていたんです。軽自動車に小麦粉や鍋を乗せて、2年間かけて全国の津々浦々をまわっていました。北海道の礼文島から始まり、太平洋側から南下して、東京、九州。沖縄の与那国島まで行って、さらに日本海側を北上し、礼文島でゴールという道のり。2年間で300ヵ所を巡りながら旅を続けており、その途中、栃木県の益子に立ち寄ったんです。共通の知人がいて、私がうどんパーティーを企画したのがきっかけですね。その後、私は旅に同行してはいなかったのですが、遠距離恋愛を1年半ほど続けていました。そんなこんなで、結婚して……経歴だけ話すと、何だか不思議な人生ですね(笑)。

——綾部市の志賀郷というのは、どんな地域なのですか。

結婚を機に、綾部に嫁いできました。綾部は主人の故郷で、志賀郷に店を構えたのも彼の実家の近くだったというのが大きな理由なのですが、偶然にも私たちが引っ越してきたあたりからIターンの移住者も見られるようになりました。この地域は「コ宝ネット」という空家に子供のいる世帯の定住を手助けしている活動を通じて住み始めた人が多いんです。私たちが引っ越してきた4年前は近所に同世代の人は少なかったのですが、今は30代前半の仲間で、5、6組ほど家族が増えたんですね。たまたまなのですが、それが心強いです。
引っ越してきた当初から、地元を盛り上げようとする活動はやっていました。60代の地元の米農家で井上吉夫さんという方が、三土市(毎月第三土曜日に行う市)という手作り市を始められたんです。私はスタッフとして広報などのお手伝いしていたのですが、その市が評判になって、毎月1,000人以上のお客さんが来てくれるようになったんです。そういう経緯から志賀郷という地域にも愛着を持つようになりましたね。

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バス停「志賀郷」から徒歩5分で赤い屋根が見えてくる

——竹松うどん店をオープンさせるまでの道のりを教えてください。

最初は近所の人にも親戚にも、反対されましたよ。「こんな場所でやったってうまくいくはずがない」とまで。益子は観光地でもあるし、東京へも2、3時間で行けるので、そんなに不便を感じなかったのですが、綾部はとことん田舎ですしね。しかし、そんな条件であっても、この地域の優しい空気と人たちが、私たちを動かしてくれたんだと思います。何より主人の「うどんを通じて、志賀郷という地域を盛り上げたい」という夢を一緒に叶えたい気持ちが大きかったですから。
この物件を購入した当時、米を備蓄する物置小屋のような蔵だけが残っていました。今は「ギャラリー うどん屋の蔵」として、うどんを食べながら作家の作品を鑑賞できるスペースにしています。蔵は窓を作るため壁を抜いて、床を上げて畳にしたのも主人なんです。厨房のある家屋は自分たちの手作り。竹を編み、粗壁を塗って。東京から「塗壁隊(ぬりかべたい)」という方達にも来ていただいて、友人たちにも協力してもらいながら赤土を塗ると、素朴な黄色い壁になったんですよ。

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竹松うどん店の入口。素朴な黄色の壁が優しい

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メニューもすべて竹原さんの手書きによるもの

——メニューを作るにあたって、こだわりや食材を選ぶ基準はありますか。

あまり表に書きたがらないだけで、実はすごくこだわっているんです。粉は国産で、北海道と香川と九州の小麦をブレンドしています。昆布は旅の途中で出会った礼文島の利尻昆布。塩は山口県で知り合った塩屋さんのもの。つまり彼のうどん行脚の旅は、素材選びの旅でもありました。旅先で出会った人たちから直接取り寄せているんです。釜玉うどんの卵は志賀郷で生まれたものを使用しています。
また、うちは機械を使っていないんです。「手打ち」と書かれていても、練ったり切ったりする工程で何かしら機械を使うお店は多い。だけど、私たちは全部手作業なんです。自分たちで捏ねて、踏んで、包丁で切る。そうすると、自分の腕一本でどこでもうどんが打てます。機械が壊れたり、例えば災害で電気を使えなくなったりしても、そういうことに左右されない。

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かまたまうどん350円

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積み上げられた薪と「手打ち」のぼりが、竹松うどん店の誇り

——「手打ち」であることが、2013年9月に京都に被害が出た台風18号のボランティアでも、おおいに役立ったと聞きました。

そうですね。車1台で温かいうどんを振る舞うことができるのは大きな強みだと思っています。私たちは、台風18号の復興私設応援隊として「だんないず」というチームを結成しました。その活動拠点として竹松うどん店を使っています。「だんない」というのは丹波の言葉で「大丈夫だよ、心配ないよ」という意味です。
このあたりはおかげさまで被害はなかったのですが、友人宅は自宅が浸水して、車もだめになったという話を聞いて。特に主人はいても立ってもいられなくなり、翌々日から各地へ泥かき作業のボランティアに出かけました。そこで、うどんの炊き出しを振る舞っている最中に「あ、冷蔵庫がないんや」と気付いたんです。それでチームの活動として家電集めというものを始めました。
2013年12月には「ぽかぽかマーケット」というイベントを開催するのですが、その一環で今度は暖房器具を集めています。今回の災害だけでなく、今後も地震や台風が起こったときに動けるチームを作っておけば、情報も共有できやすくなるんじゃないかと考えていて。

——なるほど、面白いですね。また、竹原さん自身もうどん店と併設してギャラリースペース「うどん屋の蔵」を作ったり、タケマルシェという市を定期的に開催したりしておられますね。それは、どういう思いからですか。

ギャラリーを作ったのは、単純に壁面が寂しかったから。それに、ここで毎月いろいろな方が展示を発表すれば、面白いだろうと思ったのがきっかけです。Iターンで綾部に移住してきた人たちの中には、過去に写真を撮っていたり、作品を作っていたりする人も多い。また、地域のおばちゃんたちがサークル活動で作っているちぎり絵を展示したこともあります。
タケマルシェは毎月5の付く土日祝日に、竹松うどん店の中庭で行っている手作り市のこと。綾部、福知山、舞鶴などから毎回10店舗くらい出店していただいています。近所のおじさんが作っている山野草から、イカ焼きから、指圧マッサージまで。私が選ぶというよりも、そのときに合ったタイミングで声をかけたり、参加したいと言ってくださったりするんです。これも、井上さんの三土市が無くなってしまうのが寂しかったので、じゃあうちで、継続してやろうと決めたのが始まりですね。
ラリーの作家もタケマルシェの出店者も間口を広く受け入れたいんです。あまり気負わずに、志賀郷の景色に合うような感じでね。地元の人と移住者が、このスペースを通じて交流できる場所になればうれしいです。

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厨房の食器棚には竹原さんや友人たちの焼いたどんぶりが並ぶ

——今までの陶芸活動とうどん作りに、共通している感覚はありますか。

言われてみればそうですね。土と小麦粉、どちらも捏ねます。ただ、結婚してからは、うどん店を開くことが生活の基盤になったこともあり個人の陶芸作家としての活動は全然出来ていません。今は正直、子育てと事務作業で手いっぱいになっているのですが、時間を見つけて一緒に厨房に立ち、うどん作りを手伝うこともあります。陶芸で菊練りという、空気を抜きながら菊の模様みたいに練る方法があるのですが、その動作に近いものをうどんでもやるんですよ。触り心地も似ているかな。触っていて、気持ちいいなあと。薪を使うところも共通していますしね。
そうそう、店内のランプシェードやどんぶりは、一部、私が益子時代に作ったものを使っています。他の食器も益子の友人が作ったもの。自分の人生は、それなりに悩みながらも直感を信じてここまでやってきましたね。志賀郷という地域は、正直不便ではあります。でも、里山ならではの住みやすさがあるのかな。気候も穏やかで、お米もよいものが穫れますしね。

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訪れた日は近所から米粉パンの出店があった

——これからの目標を教えてください。

竹松うどん店は今年で4年目になるのですが、まだまだ軌道に乗れていないので、これから定着できるようにしたいですね。根底にあるのは、おいしいうどんを食べてもらうことを通して、綾部を盛り上げたいという気持ちです。過疎が進んでいる地域だからこそ、できることがあると考えています。
ギャラリーやタケマルシェをきっかけに志賀郷へ多くの人が来てくれる様なおもしろい楽しい企画がこれからもできたらと思っています。2013年11月に2回目を行った「たけまつり」は年に一度の竹松うどん店感謝祭のようなもの。いろんな企画を運営する上でも、何より手作り、手仕事を大切にしたいです。私自身は陶芸作家に戻るのも面白いと思うけど、今は子どももいるので、次にやりたくなったときにできれば、という気持ちでいます。
それと近いうちに、うどん教室を開いてみたいですね。4歳〜12歳くらいの子どもを対象にうどん作りの全工程をひとりでさせてみる、というもの。もちろん、薪を使って火を起こすところから教えたいです。それも子ども用の包丁でなく、本物の包丁を使ってね。それで本物の出汁をとって、味わわせてみたい。うどんが大好きな主人の将来的なビジョンを支えるという形で、何か一緒に活動することができれば、私の人生も楽しいものになりそうです。

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塩こうじや醤油、持ち帰り用のうどんも店内で購入できる

インタビュー、文 : 山脇益美
2013年9月26日、11月30日 京都府綾部市にて取材

プロフィール
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写真左:友徳さん、右:妙さん、中央:茅里(ちさと)ちゃん

竹原妙(たけはら・たえ)
1978年福岡県生まれ。1999年、京都芸術短期大学陶芸コース卒業後、栃木県益子町の窯業指導所で経験を積み、陶芸作家として活動。2009年、結婚を機に京都府綾部市に移住。2010年10月「竹松うどん店」をオープンする。現在、うどん販売や情報発信の傍ら、店内のギャラリー「うどん屋の蔵」、タケマルシェの企画運営に関わる。また、2013年9月に起こった台風18号災害をきっかけに、ボランティア隊として「だんないず」を発足させ、復興私設応援隊としている。

竹松うどん店
〒623-0343京都府綾部市志賀郷町儀市前13
0773-21-1665
営業時間 11:00〜15:00(売り切れ次第終了)
定休日 7、8、9のつく日
http://mensoule.seesaa.net

山脇益美(やまわき・ますみ)
1989年京都府南丹市生まれ。2012年京都造形芸術大学クリエイティブ・ライティングコース卒業。今までのおもな活動に京都芸術センター通信『明倫art』ダンスレビュー、京都国際舞台芸術祭「KYOTO EXPERIMENT」WEB特集ページ、「混浴温泉世界」「国東半島アートプロジェクト」運営補助、詩集制作など。