江戸時代の、五街道以外の主要街道を脇往還と言いますが、その中のひとつに北国街道(ほっこくかいどう)があります。北国脇往還・善光寺街道とも呼ばれる北国街道は、軽井沢町の追分宿(おいわけしゅく)で中山道とわかれて長野市の善光寺を通り、直江津で北陸道に合流するまでの部分を指します。おおよそ、追分~小諸~上田~屋代~善光寺~牟礼~野尻~関山~新井~高田~直江津を通っていて、現在の国道18号とほとんど同じルートです。古道もけっこう残っていて、歩いているだけでも楽しめます。
牟礼宿(むれじゅく)は、江戸と金沢をむすぶ北国街道の中間地点にあたりますが、町内に「武州加州道中堺(ぶしゅうかしゅうどうちゅうざかい)」と書かれた碑が残っています。この碑は、「この場所が武州=武蔵国=江戸の前田屋敷と、加州=加賀国=金沢城を結ぶ道の中間距離にあたる部分ですよ」という目印だったそうです。正式名称は「小玉道中堺碑」、飯綱町の小玉地区にあります。昭和45年に町指定文化財(史跡)となっています。
前田家では、参勤交代時、この碑に一行がたどり着いた際、江戸屋敷と金沢城へむけてそれぞれ飛脚を立てた、との伝承があります。殿が街道の中間まで進みました! ということだけを伝える飛脚もなかなかたいへんです……。
現在では、碑に刻まれていた文字は消えかけていて、じっくり近づいて見ても読めません。よく捨てられずに残っていたものです。この碑は元々、現在碑が立っている小公園から東に約110メートルの、立石という地名の北国街道沿いにあったそうです。
牟礼は現在でも宿場町の面影を残し、街道沿いに味わいのある商店街や町並みが残るきれいな地区です。牟礼駅(しなの鉄道北しなの線/信越本線)で降りると街道や碑も近く、散策しながら前田家の参勤交代気分を味わえます。
(山貝征典)