盛岡の夏は短く、8月1日から4日までの「さんさ踊り」で始まり、16日の盆送り行事「舟っこ流し」(盛岡市指定無形民俗文化財)で終わります。
舟っこ流しは「盛岡藩5代藩主行信の娘の発願により、享保年間に黄檗宗・大慈寺の和尚によって川施餓鬼の法要を新山川原で行ったことが由来」(1)とする説と「文化年間に津志田の売れっ子大時、小時らの水難事故を哀れみ街の人たちが供養した際、位牌を舟に飾り数々の供物を供えて盛大な舟っこ流しを行ったのが今に伝わっている」(2)との説があります。
舟っこ流しは毎年8月16日の夕方から行われます。2003年までは夕顔瀬橋でも行われていましたが、現在は明治橋付近でのみ行われています。両橋とも盛岡市の中心を流れる北上川にかかる橋です。この行事は盆に迎えた先祖を送る精霊送りの行事ですが、家ごとに行うのではなく各町内会や寺檀で舟を造り、合同で流し送るところが特徴です。
舟っこを作る材料の調達は山から杉や笹竹を採取するところから始まり、毎年決まった山へ入り、はしごを使って杉の枝を下ろし枝から葉のある部分を切ります。舟は、以前は町内会の人たちで作っていたのですが、最近では大工に依頼することも多くなりました。舟には決められた飾り付けがなされ、よく燃えるように稲わらや花火が仕込まれます。花火代は数万円から数十万円かかり、その費用は町内会や会社からの寄付、戒名料等でまかなわれます。
各町内会で作られた舟は町内の子供たちの先導で川原に運ばれ、開始時間になると北上川に浮かべられます。町内の男たちによって引かれていく舟に火が付けられ、中に仕掛けられた花火が夕闇が迫る頃には炎を上げて燃え上がり、川の中で舟を引く男たちの顔を赤く染めていくのです。雄壮で厳かな舟っこ流しです。川原では舟に手を合わせて故人の冥福を祈る人々の姿も見えます。ほぼ燃え尽きた舟は下流の定められた場所で回収されます。
舟っこ流しが終わると盛岡は秋になります。
(1)出典:盛岡市教育委員会主催公開講座「岩手の伝統・文化講座 盛岡の盆から秋の風物詩 舟っこ流し~盛岡山車」配付資料より。
(2)同上
(福島雪江)