日本全国で「町おこし」や「地方創生」という言葉を耳にしますが、北海道上川郡東川町は、そうした動きが広がるよりもずっと前から、町全体が一体となってまちづくりに取り組んできた地域です。東川町が掲げる「適疎(てきそ)」という考え方は、単なる人口対策ではなく、「自然と人、暮らしと文化のちょうどよい距離を保ちながら豊かに生きる」ことを目指したものであり、その哲学は、今も町のすみずみに息づいています。

大雪山旭岳姿見の池
東川町は大雪山の麓に位置し、豊かな森林と湧き水に恵まれた町です。上水道を持たず、生活用水はすべて地下水でまかなうという、全国でも珍しい仕組みを守り続けています。この自然との共生こそが町の原点であり、「多すぎず、少なすぎず、ちょうどよい距離感で暮らす」という「適疎」の思想の基盤となっています。

東川町複合交流施設せんとぴゅあ
東川町が有する「写真文化」「家具デザイン文化」「大雪山文化」を通じた文化活動を中心に、国内外、地域内外を問わず多様な人々と文化が交流する写真文化首都の拠点となる施設
1985年、町は全国に先駆けて「写真の町」を宣言しました。美しい自然や人々の営みを写真を通して見つめ、感じ、共有するという文化的な挑戦です。観光や開発ではなく、「見つめること」そのものを町の価値としたのです。このときから東川町のまちづくりは、“効率”よりも“感性”を軸に歩み始めました。
2000年代に入ると、「適疎のまちづくり」が政策の中心に据えられます。人口を増やすことを目的にせず、町の規模にふさわしい豊かさを育てることを大切にしています。町を訪れる人を一時的な観光客ではなく、「共に生きる仲間」として迎え入れる。そんな姿勢が、移住や定住を支える土台になっています。
教育にもこの思想が息づいています。町立の小中学校は、木のぬくもりを生かした開放的な校舎で、自然光が差し込む空間の中で子どもたちがのびのびと学んでいます。また、全国から留学生を受け入れる「東川日本語学校」では、外国人と地域住民が共に暮らし、互いの文化を日常の中で分かち合っています。人と人との間に心地よい“間”があるからこそ、学びや交流が自然に育まれているのです。
さらに、「ひがしかわ株主制度」など、町外の人も地域づくりに参加できる仕組みが整えられました。単なる寄付や支援ではなく、町の未来を共に考える“関係人口”として関わる人々が増えています。この緩やかで持続的なつながりも、東川町の「適疎」を象徴しています。

「東川らしさ」に基づくユニークなまちづくり
『Higashikawaからの贈り物』より

数字で見る「ひがしかわ」
『東川町史 第3巻』より
こうした地道な取り組みの積み重ねにより、東川町の人口はこの25年間で約2割増加しました。全国の多くの町が人口減少に悩む中で、東川町は“成長”よりも“成熟”を選び、自然と人が調和するまちの姿を実現してきたのです。
「適疎」という言葉には、現代社会への静かな問いが込められています。人が多ければ豊かになるわけではなく、静かであれば満たされるわけでもない。大切なのは、自然と共に暮らし、心に余白を持ち、人とつながる“ちょうどよさ”です。東川町は、早くからその価値に気づき、ゆっくりと、しかし確実に形にしてきました。これからも「適疎の町」として、豊かさの本質を静かに問い続けていくことでしょう。
参考
HIGASHIKAWA THE TOWN OF PHOTOGRAPHY、https://higashikawa-town.jp/(2025年10月15日閲覧)。
『東川町史 第3巻』写真文化首都「写真の町」東川町、2019年、 town-history-vol3-1-1.pdff(2025年10月15日閲覧)。
『Higashikawaからの贈り物』写真文化首都「写真の町」東川町、2025年。
『東川町「写真の町」40周年誌 ちいさな町の、おおきな歩み』写真文化首都「写真の町」東川町、2025年。
『HIGASHIKAWA The Town of Photography New and Information 写真の町通信 2025 vol.41』東川町「写真の町」実行委員会、2025年。
(古月真奈美)



