佐賀市大和町名尾の山あいに、名尾手すき和紙という和紙工房があります。
九州の和紙づくりは、文禄4年(1595年)に日蓮宗の日源上人が筑後の溝口村(現・福岡県筑後市)を訪れた際、そこが和紙の生産に適していると見て越前和紙の技法を伝えたことから誕生した八女和紙が始まりとされています。そして肥前名尾の納富由助という人物がこの溝口で修行し、地元に戻って和紙づくりを開始しました。名尾和紙は地域に自生するカジノキ(コウゾの原種)を原料としています。その特徴は、繊維が長くて丈夫なこと、また緻密で透明感があることです。とくに提灯紙が有名で、博多どんたくや祇園山笠、長崎精霊流しなどの祭りや大相撲九州場所の提灯、唐津くんちの曳山や日光東照宮の修復などにも使用されています。
明治後期、名尾和紙の全盛期には100軒ほどの工房がありましたが、現在では1軒のみとなりました。
さて現在の名尾手すき和紙では、6代目と7代目の谷口さん親子が時代に合わせて様々な和紙づくりに取り組んでいます。染料を用いたカラフルな和紙はもちろんのこと、菜の花を散りばめた和紙、すかし模様を入れた和紙、紅花や落ち葉、ススキやモミジをすきこんだ和紙、柿渋染紙など様々なバリエーションを繰り広げ、そのナチュラルでモダンな風合いから壁紙やランプシェードなどのインテリア素材にも用いられています。またその丈夫さを活かして紙製の籠や靴なども作っています。
さらに7代目は「KAMINARI PAPERWORKS(カミナリペーパーワークス)」という新ブランドを立ち上げ、還魂紙(再生紙)をコンセプトに、より自由な素材をすきこむ実験的な活動を行っています。
その一例として、長崎県波佐見町の金富良舎との共同開発で、長崎原爆資料館に寄せられる大量の千羽鶴をすきこんだ名尾和紙のポストカードが作成されました。ピースレターと言います。私も買い求めてみましたが、この可愛らしい姿の手すき和紙には、千羽鶴を折った人たちの想いと名尾和紙の歴史が凝縮されていて、紙そのものからメッセージが伝わってきます。
なお今回、工房一帯はこの8月に豪雨被害を受けられた模様です。1日も早い復旧をお祈りいたします。
参考
菊地正浩(2012年)『和紙の里 探訪記』草思社
久米康生(2003年)『すぐわかる 和紙の見わけ方』東京美術
和紙ってなに?編集室(2020年)『和紙ってなに?② 西日本の和紙』理論社
金富良舎(こんぷらしゃ)|人・仕事・地域を繋げる仲介人
https://comprasha.com/
(山口美登志)