2)暮らしがデザイン、デザインが暮らし
デザイナー 山﨑超崇さん2
城谷さんはイタリアから小浜に戻り、山﨑さんがSTUDIO SHIROTANIで働くようになってから家族を持った。自身の生活の変化は仕事にもかかわっていたのだろうか。
———家族ができて、子どもが成長するにつれ、自分の時間の使い方が変わっていったところがありましたね。もともとあくせく仕事をされる方ではなかったですけど、家族を大切にすることを一番に仕事を決める、という感じになりました。
いろんな仕事のなかでも、特に住宅の設計には城谷さんの生活の変化が影響していたと思います。
仕事として提案するというより、その人の生活を考えて、城谷さんが楽しんで得てきたものを伝える、みたいなところがあって。「こんなことすると僕は楽しかった」とか、経験談みたいなものを話しながら、気づいたらかたちにできているんです。設計自体がすごく優しくて、余白があった。
いい時間を過ごして生きているから、仕事でもいろんな提案ができる。住宅を依頼してくる方たちも「そんなふうに暮らしていいんだ」と思えたんじゃないかな。僕自身も、仕事だけでなく、暮らし全体にすごく影響を受けています。
「暮らしが仕事、仕事が暮らし」と言ったのは民藝の陶芸家・河井寛次郎だが、城谷さんの場合は「暮らしがデザイン、デザインが暮らし」となるだろうか。暮らしとデザインは矛盾せず、一緒にある。日々の実感をものさしとして、城谷さんは工芸品から住宅、まち並みに至るまで、優劣をつけることなく、ひとつ、ひとつに向き合っていた。
そして、それはつねに広い視野で捉えられてもいた。たとえば住宅を手がけるにあたっても、建物の設計だけでは終わらない。
———クライアントが変わればやり方も変わるんですけど、自然な会話を重ねて、その都度解釈を与えていきながら、発掘も発見もしてやり方が決まっていく感じで。そのときできることと、クライアントのやりたいことを突き合わせて、自分のネットワークからとか、許される時間のなかで行動を起こして、やり方を見つけていっていました。
そしてそれは、いろんなジャンルにまたがっていくんです。住宅にしても、建てる家だけじゃなくて、暮らし全体というか。歳をとってからのこととか、まわりの環境にもかかわっていくことがけっこうありました。全オーダーメイドではないですけど、それぞれに合ったというか、必要なやり方を取るんですね。それを見ていて、なんて時間のかかる、先が見えにくいやり方なんだろう、と。でも、城谷さんは「きっとなんとかなるから、大丈夫」と。どんな状況でも自信というか、びくともしないものがありましたね。
「住む」ことを、住まう側に立ってとことん想像する。その家で営まれる生活と、住人のライフスタイル。周囲の環境。その土地の自然や文化。時間の与える変化。考えうることすべてを検討したうえで、最適解を探っていく。
城谷さんはいつも真剣で大真面目だが、何より明るく楽しい。それは山﨑さんにとって、大切なところでもあった。
———「より楽しくするために、時間をどう使う?」みたいなことを、ちゃんとやっていた人だと思うので。たとえ失敗しても、その道中楽しければいい、と。美味しいかどうかわからないから、とりあえず食べてみるしかないね、という感じですよね。どんな大変なときでも負のオーラを出さずに、前向きにやっていく人なので、それが伝わってくると仕事の場がすごく明るくなりました。苦しくないっていうか。
たとえば、城谷さんは誰かが来るとなると、ホテルを取ったり車の手配などを自らやっていた。細かい気配りというより、ごくあたりまえに進めていたように見えた。「効率」とは別のベクトルで、仕事全体を捉えていたのかもしれない。