アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#98
2021.07

未来をまなざすデザイン

3 それぞれの受け継ぎかた 長崎・雲仙市
3)世代をまたぐ縦のつながり、同世代の横の広がり
デザイナー 山﨑超崇さん

城谷さんには、同じ九州に「師匠」がいる。福岡に住むインテリアデザイナーの永井敬二さんだ。椅子のコレクターとして、世界的に知られる存在でもある。城谷さんは何かあると永井さんに相談したり、永井さんもひんぱんに小浜を訪ねたり、と親密な付き合いが続いてきた。ちなみに、刈水庵の倉庫を改装したギャラリーのこけら落としの企画は永井さんのコレクション展示であった。
そんなわけで、山﨑さんをはじめ小浜の若い世代にとっても、永井さんは馴染み深い。世界的に有名だからではなく、気さくに声をかけてくれる、親しい隣人のような存在として。

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刈水庵のギャラリーにて、永井敬二さんのコレクション展示

———永井さんは70代半ばで、デザイン業界の貴重な生き字引なんですが、小浜が好きで、福岡からよく「逃げてくる」(笑)。
永井さんのことを、僕ら世代の子どものいる人たちは「永井じいちゃん」って呼んでいて。永井さんに可愛がられている赤ちゃんもいるんです。永井さんがいて、城谷さんがいて、そして僕らでいわば3世代が揃うんですよね。世の中、3世代が近くにいることが少なくなっていますが、刈水は赤の他人なのに家族的な感覚というか、通じ合えている人たちが世代をまたいでいる地区なんです。そういうのって、なんかいいなって。もはや学校がここ(刈水地区)でいいじゃん、みたいな。学校よりも、ここで学ぶことのほうがよっぽど多い。

城谷さんが小浜に戻ってきた2000年代、特に刈水地区はひとり暮らしの老人が多く、若者はいなかった。それが今では、3世代どころか4世代が刈水に揃うようになった。世代をまたぐつながりも生まれていたのだ。

———僕たちは、気持ちのいい朝は庭でご飯を食べたり、昼も庭で食べたりするんですけど、そこを城谷さんが事務所に行くのに通りがかって、顔を合わせる。毎日の暮らしで、姿を見ない日はなかったです。
狭いところにいろんな世代がいて、日常的に会っている場所って、きっとよくなると思っていて。いいところは引き継ぎつつ、危険なことは防いでいけるというか。

最初の話に戻るが、小浜に移住した若い世代はバラエティに富んでいる。城谷さんを知って興味を持った人もいれば、農業や食に惹かれてやってくる場合もある。また、温泉をはじめ風土がきっかけという人もいる。小さな地域に世代の縦のつながりと、多彩な横の広がりがある。人間関係の厚みと奥行き。それがいっそう進化しているのが今の小浜といえる。
また、横のつながりは特徴的でもある。それぞれが近くに住居や店をかまえて親しくしながら、程よい距離を保っている。

———ジャンルは違えど共通言語、共通の価値観はあります。とはいえ、みんながずっと一緒にいるわけではなくて、ふだんは自由にやっていて、何かあったときは一緒にやれるっていうような。チームなんとか、ではなく、一枚岩でもなく。各々が立っているところに良さがあって。
それぞれ交友関係をつくっていったり、店だったらファンもいて、何かあったときにはそれをシェアしたり、一緒に合わせる。そうすると、膨大な仲間が背後にいる、っていうことにもなるんです。

デザインに食、地熱の研究……。小浜に集まった若い世代は互いを面白がり、リスペクトし合いっている。そして、必要に応じて各々のネットワークをつないだりしながら、小浜に誰かを呼べばみなが知り合い、国内外のさまざまな地域にも通じていく。コミュニティは固着することなく、フレキシブルだ。

———城谷さんが中心にいた人間関係が、城谷さん抜きで、直通しているみたいなところもあって。それは城谷さんが元気なときから、すでに始まっていたんですよね。
みなさん、城谷さんがつくった価値観に影響を受けたり、共感した人ばかりなので、何をやったとしてもきっと変な方向にいったりしないと思っているんです。ジャンルはなんであっても、思想とか哲学みたいなものはみんなちゃんと持っているから。そこが一番大事なのかもしれません。

山﨑さんは、次にくる若者たちに「小浜はこういう場所です」と示せるようになっておきたいと言う。今現在のありように、小浜の文化や風土もつなげたいと思っているのだ。それには、老人たちの話を聞いたり、古い資料にあたるなど、やれることはたくさんある。温泉などの資源の活用も重要な課題だ。
そこには、城谷さんから受け取ったものを、各々が時間を重ねて変化させていくことも含まれる。城谷さんがつくった土壌は、多様な人材がそれぞれの耕し方をすることで、さらに肥沃になっていく。