7)「誰かの何か」であるために
タネト 奥津爾さん4
雲仙から発信した試みは、当初奥津さんが考えていたことからはるかに広がり、奥行きのあるものとなった。
飾らない言葉や素材をぞんぶんに生かした料理、血の通ったプロダクトなど、それぞれが素直に五感に訴えかけてくる力に満ちていた。少し先を眼差し、農業と環境問題のゆくえ、そして地域の食や文化のありかたに目を向けるきっかけとなるイベントだったのではないだろうか。
———小さな、ミニマムなものでしたけど、コロナで移動が制限されても、コンセプトさえはっきりしてれば、しっかりとしたイベントができると実感しました。雲仙という土地を深く掘り下げる作業をしていったら、全国とつながった、みたいな。そういうプラットフォームにできたというのは、僕としては本当に気持ちよかったですね。やっているときから「次」のことを考えていました。
食にまつわることを、デザインという視点から見せていく。それをタネトや刈水庵という場で、ものと人の質感をともなうかたちで有機的に実現したのは画期的といえるだろう。
そのなかで、奥津さんは城谷さんのデザインの力をあらためて実感していた。
———自分の感性でやらせてもらえたことは大きかったですね。そして、変な言い方ですが、城谷さんといっしょにやったような感覚もあります。デザインの本質ってこれでしょ、という確信みたいなのがすごくあったし。消費されないデザインとか、ひとつのデザインを10年、100年どう持続させられるか、ということですよね。
城谷さんと7年か8年、同じ地域の住人としてかかわるなかで、彼のデザインを無意識のうちに吸収していたのかもしれません。彼の哲学とか考え方とかが、今回完全にバチッと固定されました。1段階上に上がれたというか。
つくづく思うのが、同じ地域に住んでいることで、知らず知らずのうちに影響されていることってあるんだなって。たとえば京都に住んでいる人は、多かれ少なかれ歴史と繋がっているはずなんですよ。別に勉強しなくても、自然に空気に入っているじゃないですか。その空気を吸っていることが大事なんじゃないか、と。
僕はたぶん、デザインに対してそうなっていたんですよね。刈水庵に行くと、椅子から什器から、超一流のものがさりげなく置いてある。日常的に通っていることで、僕のベースは確実に上がっていたはずです。
城谷さんのデザインに関する思想や哲学は、直接教わったわけではない奥津さんの行動原理にもなっていた。刈水庵の佇まいや、そこに置かれているものたち。そして、城谷さんに学んだ山﨑さんや古庄さんたちの言葉やふるまいなどを通して。
そうなったのは、城谷さんの考えが明晰であるだけでなく、奥津さんがそこにある「何か」を積極的に受け取りにいったからではないだろうか。学びとは本来、そういうものだ。ある考えを受け取った誰かが自分に必要なかたちに変え、展開することで、その思想が広がり、受け継がれていく。
———そう考えると、僕がタネトでやっていることも、きっと誰かの何かになるんだろうなって。地域の人たちは当たり前に買い物してくれていますが、あの地域にあるだけで「何かの何か」になっている。それは実店舗の強さですね。僕が実感したのはそこです。やっぱりアクションして、現実世界でリアルにやっていくって、みんな意識しないだけで意外と何かしらになっているんじゃないかな。孤独じゃないですよ。
城谷さんもある種の孤独を感じたりしていたのかな、って思うんです。デザインの最先端でやっていた人が地元に帰ってきて、デザインのデの字も知らない人たちと仕事するわけじゃないですか。でも、城谷さんって飄々とやってました。どこかで信じてたものがあったと思うんですよね。この地域で、地元の人たちとやることが、本質的な何かにつながる、みたいな。そういう信念がきっとあったと。
城谷さんが小浜を拠点に、デザインの力で地域を変えていったこと。そして、奥津さんがタネトをひらき、食というジャンルでデザインの思想を生かし、地域を変えていこうとしていること。
両者に共通するのは、ものごとの本質を見ようとし、何が必要かを見きわめ、深く掘り下げつつ、広げていく姿勢だろう。その点で、奥津さんもまた、城谷さんを継承するひとりなのだ。
「種を蒔くデザイン展」は始まりの一歩である。育てていくのはこれからだ。「城谷チルドレン」をはじめ、種を守り継ぐ農家の岩崎さんを敬愛する料理人たち、「種を蒔くデザイン展」にかかわってくれたクリエイターや関係者たち、そして何よりタネトを応援してくれる地元住民とともに、じっくりと。
———城谷さんが20年かけてつくってくれた土壌がありますからね。小浜ではデザインが身近になっていると思うんです。刈水庵に通ってきた子どもたちは、たとえば東京のかっこいいとされるカフェに行って「刈水庵のほうがかっこいいな」ってなるんじゃないかな。自然と教育されてきてるんじゃないですか。じわじわって、その土地に水が沁みていくような。自分もそういう仕事がいいなって思います。ぱっとわかりやすいデザインじゃなくて、結果的にそういうことだったのか、となるような。
次回は最終回。時間と空間をさらに広げて、城谷さんの手がけてきたことを捉え直してみたい。
編集と執筆。出版社勤務の後、ロンドン滞在を経て2000年から京都在住。書籍や雑誌の編集・執筆を中心に、それらに関連した展示やイベント、文章表現や編集のワークショップ主宰など。編著に『標本の本-京都大学総合博物館の収蔵室から』(青幻舎)や限定部数のアートブック『book ladder』など、著書に『京都でみつける骨董小もの』(河出書房新社)『京都の市で遊ぶ』『いつもふたりで』(ともに平凡社)など、共著書に『住み直す』(文藝春秋)『京都を包む紙』(アノニマ・スタジオ)など多数。2012年から2020年まで京都造形芸術大学専任教員。
写真家。1989年生まれ。大阪市在住。 写真館に勤務後、独立。ドキュメントを中心にデザイン、美術、雑誌等の撮影を行う。