アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#97
2021.06

未来をまなざすデザイン

2 STUDIO SHIROTANIから広がること 長崎・雲仙市小浜

 

1)理想とする生き方に出会う
刈水庵 諸山朗さん1

小浜の温泉街から、徒歩数分。急な坂道を登った先が刈水地区である。細い通りの両側には石垣に囲まれた家が並び、きれいな湧き水が流れる。後ろを振り返れば、海を見下ろせる。
魅力的な景観だが、この地域は小浜のなかでも過疎化が進んでいた。細い路地には車が入れず、坂の上り下りは、特に高齢者にはこたえる。城谷さんは刈水地区をデザインすることで、活性化をはかろうとした。それが「北刈水エコヴィレッジ構想」であり、刈水庵はその拠点としてつくられたのだった。(詳しくは#40をご参照ください)

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刈水庵。右手前の2階がSTUDIO SHIROTANI事務所

現在の店長は諸山朗(あき)さんだ。初代から数えて3人目となる。
朗さんは神奈川県の出身。多摩美術大学で環境デザインを学んでいた。卒業後はテレビ会社に入り、番組のAD職についたが「デザインの仕事がやりたい」と退職。働き方を模索していた頃に、城谷さんに出会った。

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諸山朗さんと夫の岳志さん

———父が島原市出身で、わたしの実家は(小浜から)車で45分ぐらいのところにあるんです。もともと城谷さんとは、クライアントというかたちで会いました。歴代の移住者に比べてちょっと特殊で、最初はお客さんだったんです。

朗さんの父は、工芸史家の諸山正則さん。東京国立近代美術館の主任研究員だった2013年に「現代のプロダクトデザイン-Made in Japanを生む」展で、出展作家のひとりとして城谷さんに声をかけた。その後もふたりの交流は続いていた。
正則さんは定年退職を区切りに、島原にある実家の敷地内に新しく小住宅をつくりたいと城谷さんに設計を依頼。そして、その打ち合わせに朗さんも同席することになった。ADを辞め、デザインの仕事を探していた頃だった。

———大学で建築をやっていたので、「勝手のわかる人が間に立ったほうがいいだろう」という父の発案で。初めて小浜に来たときも、城谷さんがたくさんアテンドしてくれて。蒸し釜で魚を蒸して食べたりもしましたね。もともと地方でデザインの仕事に携わりたいというのがぼんやりとあったので、こんなにいいタイミングで自分の理想の仕事をしている方に出会えるなんて、もうないだろうと思って。

刈水庵の2代目店長の独立というタイミングも重なって、城谷さんから「刈水庵で働かないか」と声がかかった。そして2018年4月、朗さんは小浜に移住する。
朗さんが刈水庵で働き出した1年後に、お付き合いしていた岳志さんも小浜にやってきた。ふたりはその後、このまちで結婚。現在、朗さんは刈水庵の店長を務め、岳志さんは雲仙市の地域おこし協力隊で移住・定住を担当。移住者の拠点でもある刈水庵にかかわっている。