1)道具とは何かを問いかける「原形」
TIPO(長崎・波佐見焼)1
「城谷耕生のプロダクトデザイン – 人と人のつながりから生まれる形 –」は長崎県美術館のコレクション展のひとつとして企画された。美術館の収蔵する作品に、城谷さん自身が所蔵する近作も加わり、展示室に約90点ほどのプロダクトが並ぶことになった。個展は初めてで、城谷さんも展示や関連企画のアイデアを出すなど、積極的にかかわっておられたという。
展示は3部構成。<1.「原型」としてのプロダクト 2.人と人をつなぐ 3. 新しい伝統をつくる> というテーマに沿って、作品がカテゴライズされていた。担当学芸員は川口佳子さんである。
城谷さんはもともと、プロダクトデザインを志していたわけではない。どちらかというとインテリアや建築に関心があったが、イタリアでアッキーレ・カスティリオーニやエンツォ・マーリに出会い、その考え方に感銘を受けた。なかでも、デザインは社会のためにあり、社会の構造全体を見据えたうえで行うもの、というマーリの根本的な思想を学んだことが城谷さんのデザイナーとしてのあり方を決定づけた。そうして主に地域の伝統工芸を場として、職人とのものづくりを志向するようになったのである。
デザインとは、ものにしろしくみにしろ、形をつくることでもある。その活動において、城谷さんは自身がかかわる「かたち」をこのように考えていた。
———最高のフォルムを生み出すのは難しいことなんです。でも、ある程度のフォルムは訓練したらできる。僕もデザインをするなかでわかってきました。歌を上手に歌える人と一緒で、素人の歌とレッスンを受けている人の歌って明らかに違うじゃないですか。それと同じように形をつくるのも、ちゃんと訓練を受けていけば、ある程度合理的で美しい形はつくれるようになると思っています。
じゃあ、本当に最高のフォルムを生み出すのかというと、それは僕のやることじゃないだろうと。クオリティの高いフォルムを目指して努力するけれど、みんなで共同作業していくなかで生まれ出る形を僕はやっていきたくて。そこにデザイナーが特化しすぎるのはよくないし、逆に社会的に意味があるというだけだと見てもらえない。
そして、やっていることはいいけれど、みっともないことはしたくない。すごくきれいなフォルムと完成度だけど、よくないこともしたくない。例えばどこかの国の子どもが学校に行けずに労働してできたものとかね。それをどう両立させるか、やっていかなくてはいけない、と。
城谷さんは作品について、「これほしいな、きれいだな」と思った後に、ものの背景を知って「ますます好きになった」と思ってもらえるようなものでありたい、とも語っていた。じっさい、この展覧会場では、学芸員の川口さんによるていねいなキャプションを読むと、また作品が違って見えるのだった。
展示は「TIPO」シリーズから始まっている。STUDIO SHIROTANIを設立した翌2003年に発表した磁器コレクションだ。磁器なのにやわらかさがあって、詩的に見える。そして、やや抽象的でもある。口が斜めに傾いた「ミニボウル」、細長い「クオーター」など、何に使うのか(何にでも使えそうだけれど)、と一瞬戸惑ってしまう。
TIPOはイタリア語で「原型、標準」という意味だ。器の用途は使う人に委ねられる。たとえばミニボウルは食器はもちろん、花器にも小物入れにもなる。そういうものを前にすると、私たちは用途を具体的に示されることにいかに慣れているか、あるいはひとつの用途で使うことが当たり前になっているかに気づかされるのだ。
そもそも、器をはじめ、多くの生活道具は多用途だった。使い手が工夫して、ひとつのものを使いこなし、役立ててきたのである。TIPOシリーズからは、道具の本質的な役割や人との関係性が浮かび上がってくる。
道具とは何かを問いかけるような形。この初期の仕事は器の原型であり、城谷さん自身の原型であるようにも思える。