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アネモメトリ -風の手帖-

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#93
2021.02

文化を継ぎ、培うということ

1 文化サロンとしての私設美術館 京都・祇園町
3)黒田辰秋と鍵善 芸術家とともに

幼い頃、善也さんは本店の2階に住んでいた。店内には大飾棚や行器(ほかい)など、黒田辰秋の作品がたくさんあって、それらに接しながら育ってきた。辰秋のものづくりは、善也さんの思考や感性に大いに影響を与えてきたのである。当主になってからも、辰秋のことは常に頭にあった。人間国宝にもなった作家の作品とこれまでのかかわりを、どう残すか。それは、鍵善が担ってきた文化の一端をどう残し、つないでいくかということでもある。

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店内で向かい合わせに置かれた《拭漆欅大飾棚》。鋳物の取っ手などもすべて辰秋が制作した。河井寬次郎の焼きものなどが置いてある。引き出しなどは今も使っている。辰秋からは「家が一軒建つ」ほどの請求が来て家族は驚いたが、出入りの大工が「それだけの値打ちがある」と太鼓判を押したという

———ここのコンセプトとしては、黒田辰秋さんをアーカイブする。12代の善造と辰秋さんの出会いから作品ができたことをきちんと展示したいということと、もうひとつ、鍵善がそのころの祇園町の文化サロン的な場であったことを伝えたい、と。民藝も含めて、そうした動きがあったことを残せるような場所にできたらいいと思いました。

黒田辰秋は優れた木工作家だった。祇園の塗師屋に生まれ、木工作家を志すなかで陶芸家・河井寬次郎に出会い、彼を介して民藝運動の創始者・柳宗悦の薫陶を受けた。そして、生涯にわたって、器や木工家具をはじめ、独創的な作品を制作し続けたのである。
先にも書いたが、鍵善12代善造と辰秋は同世代である。文化芸術に深い関心を寄せる老舗の若き主と、独自の道を切り開いた稀代の作家が意気投合するのは、ごく自然な流れであったかもしれない。作家と支援者の理想的な関係が結ばれていたのだった。
民藝がふたたび注目される昨今だが、「黒田辰秋」の名が出てくることはさほど多くはない。善也さんは、そのことを残念に思っている。

———黒田辰秋は京都の人なのに、京都の人たちに忘れられているところがある。もうちょっと知ってもらいたい、という気持ちがあります。木工やっている人たちにとっても、辰秋さんの作品を観られるところが特別展でもない限りない、というのもありました。だから、黒田さんを京都の人に知ってもらえる、木工家さんたちにも見てもらえる、そういう場所をつくっておこうと。
黒田さんのコレクションとともに、歴史的なものを残したいというのはひとつ大きいですね。

今回の展示作品数は40点ほど。その多くは店で実際に使われた後、大切に保存されてきた。1階の展示室には《赤漆流稜文飾手筐》などの代表的な作品と、辰秋が額をつくり、河井寬次郎が揮毫した「くづきり」の額など。2階では、手前の1室に炉縁に楽茶碗、茶杓などお茶関係のもの、奥の1室には辰秋が鍵善のためにつくった店の什器などを並べている。
これまで、国内で黒田辰秋の展示があるたび、鍵善は快く作品を貸し出し、人目にふれる機会を設けてきたが、収蔵している作品をすべて並べるのは初めてのことだ。こうして全体を眺めてみると、作家の造形技術や独自の感性が明快に見えてくるとともに、作家を敬愛し、支援を惜しまなかった鍵善との関係が浮かび上がってくるようでもある。

———うちが持っているものだけで空間が埋まるのかなと心配していましたが、けっこう埋まりました(笑)。まだまだこれからですけど、黒田辰秋展を年1回くらいやりながら、他の作家などの展示もやっていけるんじゃないかと。
まさか、自分の代で美術館をつくることになるなんて、思いもよりませんでしたけど。

作品からは、1点、1点が大切に扱われてきたことも伝わってくる。
鍵善のための最初の作品、拭漆欅大飾棚が制作されてから90年近く経つ。鍵善と辰秋の関係性は善造が亡くなってからも続き、こうしてさらに発展している。ゆっくりと育まれた関係は、次代にも橋渡しされていく。

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コレクションは今後も増やして行く予定だ。作品が散逸しないように、収蔵していくのもZENBIの目的のひとつでもある。上から《赤漆流棱文飾手筐》。流れるようなやわらかさと力強さを併せもつ「流棱文」は、他の作品にも流用されている。独自の発想とそれを実現する造形力の高さ。辰秋を代表する一点だ / 左は河井次郎が揮毫し、辰秋が額装したもの。右は戦中の閉店を経て、1955年に店を開けたときの寄せ書き。名だたる文化人が名を連ねた / 《赤漆宝結文飾板》朱漆の色合いを作品によって分けた辰秋は、この飾り板を真紅に染めた / 《螺鈿くずきり用器》蓋面に 「鍵」「善」「良」「房」「鍵紋」が施されている。実際にこの器でくずきりを供していた。3枚目の手前は、配達に用いた《くずきり用器 岡持ち》