3)「温かい社会をつくるひとを増やす」ための出版事業
苦難と苦悩の時期を経て、阿部さんは「経営者」になる決意をした。
———新たなスタートを切るにあたって、自分たちはこの会社で何をしたいのか、ということをじっくりと考え直しました。そして行き着いたところを一言で言えば、海士町という土地をフィールドに、「温かい社会をつくるひとを増やしたい」ということでした。自分たちがやろうとしているのはこのことに尽きる、と改めて確信できました。
それは「巡の環」のころから変わらないもので、その思いでぼくたちは、研修を通じた人材育成をやってきたのですが、2泊3日の研修でできることは限られているということも同時に感じてきました。そこで、これからは、こちらの意図をよりはっきりとかたちにするべく、それまでの、相手のニーズに応じてつくる受託型の研修から、よりこちらが主体的に設計するオリジナルパッケージの研修へと軸足を移すことにしました。ぼくたちの強みは、自分たち自身もまた、地域において社会を良くする現場を持つ、実践者であることです。参加者には、「変わりなさい」と押しつけるのではなく、ぼくたちと一緒に社会を良くしようと呼びかける。だから、参加者の心に刺さる。その強みを生かした研修を開発してきたいと思っています。
さらに、そのなかで大きな役割を果たせるのではないかと考えて、ぼくたちは新たに、出版事業を始めることにしました。研修では自分たちのメッセージを届けられるひとの数は限られる。出版によって、人と人が助け合い、自然と共存する「温かい関係性」を高める知恵を生み出して、社会課題の現場で奮闘する多くの仲間たちに届けたい、と。
出版を事業とするにあたっては、出版がビジネスとしても成り立つものであることも、英治出版から学んだという。
———本は、つくるのに時間もお金もかかるし、すぐに利益にはなりません。でも、長く売り続ければ、長いスパンで利益化することも可能です。たとえば英治出版は、つくった本を絶版にせずに売り続けることで、昨年も過去最高利益を更新しています。僕たちは、本をつくることで著者とつながりができますから、たとえば著者に研修に交じってもらうなど、本の内容を生かした研修をつくったりして、利益へとつなげていくこともできる。また、著者のみなさんに海士町に来てもらい、彼らがまちのファンになってくれたら、それこそ強力な関係人口を生み出す装置として出版事業は地域の武器になる。これらのかけ算を考えていけば、十分に出版事業はビジネスとしてやっていけると考えています。
出版は、単に本を出して売るビジネスではないということに気づかされました。誰よりも著者と仲良くなり、その方の持っているコンテンツを広げ、いろんなつながりをつくることができます。それは「関係資本」を広げていくことにつながり、そこからさまざまな可能性が生まれるはずです。出版は、考えるほどに面白い事業だなといま感じています。
一方、長く続けてきた、島の産品の販売やウェブ制作はやめるという。他にもやる組織が出てきたこと、また収益や人的資源などを総合的に考えた判断だ。
こうして事業を改変したことで、「風と土と」が目指す方向性はより明確になったと言える。事業は「地域づくり」「人材育成」「出版」の3つとなった。出版は、知恵を生むと同時に、直接的に人材育成にも生かすため、地域づくりにもつながっていく。そのように3事業が有機的に結びついていることは関係資本を広げていく。
と同時に、ビジネスとして考えたときには、「地域づくり」「人材育成」「出版」の各事業の主な顧客がそれぞれ、行政、企業、各地の個人、という具合に異なっているために、ポートフォリオ的に3本足で立つイメージとなりバランスも取れるのだ。
———社名変更までの10年は、関係資本を蓄える期間だったのだと思っています。それを生かし、今後さらに広げながら、今度はちゃんと経営者をやることが、次の10年の自分の仕事なんだと感じています。