アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#92
2021.01

コロナ禍の変化と取り組み

3 地域の「多極集中」に向かって 島根・海士町
1)新たな挑戦 「個人にならない」決断

本州から北に60キロ離れた日本海の沖合に、島根県隠岐諸島はある。そのなかの1つ、中ノ島の島全体をなすまちが海士町だ。
鳥取の境港や島根の七類から船で2、3時間かかるこのまちは、戦後、高度経済成長の時代に、急速に過疎化が進んだ。1950年は7,000人近かった人口は、2005年には2,500人まで減少した。
しかし、2002年に町長に就任した山内道雄さんのリードによりまちは再起する。多くのひとが移り住んでくる土地となり、行政、町民、移住者がそれぞれに力を発揮して、島に新たな息吹を入れた。そうしていつしか、「地域活性化」や「移住」といったテーマになれば、必ずと言っていいほど「成功例」として名前が挙がるまちになった。

ただ、「成功」という言葉の裏で見えなくなっている島の課題や問題もあるのではないだろうか。よく機能している面ばかりが脚光を浴びるからこその影があるのかもしれない。
そうした思いを持って2016年、アネモメトリは海士町を訪れ、山内町長はじめ、移住者や元からの島民、Uターン者など、立場の違う5人の方に話を聞いた(42号43号。そのひとりが、阿部裕志さんだった。

阿部さんは当時、海士町に移り住んできて9年になる移住者で、「株式会社 巡の環」の代表取締役だった。「巡の環」は、「持続可能な地域を創ること」を目指し、島の課題、人々の生活に誠実に向き合いながら、海士町を活性化するためにさまざまな活動を行っていた。地域づくり、教育、情報発信……。海士町が全国的に注目を集めるようになるのに大きく寄与することになった。
その中心にいた阿部さんが当時、海士町について言ったのは、「海士町は『成功事例』ではなく『挑戦事例』だ」ということだった。つまり海士町には、うまく機能している取り組みが確かに複数あるが、決してそれがすべてではない。実際には、解決されなければならない問題がいくつもある。衰退する一次産業をどう盛り上げるか、島の未来を担う「次世代」をどう育てていくか。それぞれの問題は、いずれも重要であり、一朝一夕で解決されることではない。大切なのは、あきらめずに挑戦を続けていくことである。そう、阿部さんは言っていたのだ。

それから、4年。
その間に、阿部さんと彼の会社を取り巻く状況は少なからず変化していた。会社に大きな危機が訪れ、その結果、阿部さんは、会社に対する考え方を根本から変えた。それに伴い、2018年10月には社名を「巡の環」から「風と土と」へと変更し、事業の内容も見直した。
そして2020年、誰も想像のしていなかったコロナ禍が発生した。
島という地理的な特性ゆえに、ひとの行き来や移動が制限される現在の状況は、彼らを取り巻く環境に大きく影響を与えているだろうことが想像できた。
2016年から現在に至るまでにどのような変化があったのだろうか。そしていま、この新たな困難のなか、阿部さんは何を思い、どのような日々を送っているのだろうか。海士町は現在、いかなる状況にあるのだろうか。
阿部さんに、尋ねた。

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