4)刺繍と農業 自分でつくる生活
刺繍作家・金井塚友美さん2
金井塚さんが滞在したのは、ルーマニアの北西部にある、カロタセグ地方。刺繍や民族衣装など、伝統的な手仕事が残る地域だ。そこの人々は、自分たちでつくれるものは自分たちでつくる生活をしている。
———夏の間に保存食になるような野菜を育てて、秋に一気にジャムとかピクルスとかをつくって、冬の間は鶏や保存食を食べるっていう感じで、そのリズムがいいなって思いました。時間の区切りが年単位なんですよね。1年で1セット。10時だからなんとかをしないと、とかじゃない。
こうして刺繍だけでなく、自給自足の生活や、自然とともにあるライフスタイルなども学んできた。そうして日本に帰ってくるとき、金井塚さんは住む場所として真鶴を選んだ。もともと畑や自然に興味があったが、農村での暮らしを経験して、自然のなかで畑をしたいと思ったこと、そしてケニーで働いていたときのご縁で家が借りられたことなど、さまざまなタイミングが「バシバシバシっと合った感じ」だった。
今は、新しくできたオリーブ園を手伝いながら、刺繍作品の制作を続けている。
———今みたいに畑の仕事をしながら刺繍をするのが、自分のやりたいことに適っている。あとはそのレベルがそれぞれ上がっていけばいいなって。刺繍も上手になればいいし、植物を育てるのも上手になっていったらいいなっていう気持ちですね。
結婚が決まり、相手の住む東京とこちらを行ったりきたりするようになったが、真鶴を離れるつもりはないという。
———東京にいたときは、お金を稼ぐっていうことに一生懸命になりすぎてロボットみたいになっていたところがあったんですけど、農村に行って思ったのが、「仕事って生きているついでにあるのか」ってこと。東京にいると仕事がどーんとあって、いろんなことを我慢して自分が薄くなっていっちゃう気がしたんですけど、農村のおばあちゃんって小麦粉と水と砂糖とって原材料があったら、パンでもクッキーでもケーキでもなんでもつくれる豊かさがあるんです。
そうやって何かを「つくれる力」を持っているのはとってもいいことなんじゃないかっていう思いがあります。それは刺繍でもいいし、洋服でも、お料理でも、野菜でもなんでもいい。何かを生み出す力を持てるっていうのが大事じゃないかとすごく思いました。
金井塚さんにとって、畑仕事も刺繍も、ともに「つくる」という意味では等しいものだ。また、オリーブ園の仕事は、真鶴の風土について考えるきっかけにもなっている。
———真鶴という土地に対して、どうやっていこうかっていうことも考えますね。社長は仕事の関係でイタリアに行くことが多いので、現地のオリーブ畑をたくさん取材されていたんです。真鶴でやるならどういうふうに育てていこうか、と。地質というか、真鶴の土っていうものがあるし、風向きや日当たりなど環境をお互いに相談しながらやっていますね。
こうして畑で植物や土と向き合うなかで、刺繍の質も変わってきた。
———真鶴に来てから(刺繍する)木が木っぽくなりましたね。綺麗じゃなくなったというとちょっと語弊があるかもしれないんですけど、それまではモチーフとしての木だったり、葉っぱだったりしたんです。真鶴に来てからは、刺繍しているなかでも「こっちに生えるものだよね」って、自分が畑でやっていた活動が出てくる。絵で描いた嘘っぱちの綺麗とはまた違う、自分のなかで納得できるバランスみたいなのが増えた気がしますね。
よく観て、手を動かし、体感したことを制作に生かす。金井塚さんが地に足をつけて、創造的な日々を送っていることがよく伝わってくる。
そうした「創造」のひとつのかたちとして、「繕う」ことも続けている。
———東京にいたときから、布にできた穴を埋めていく「お繕い」という活動もやっています。真鶴に来て最初のお客さんは、真鶴出版の川口さんでした。「お繕い」が面白いのは、ひとの思い出を聞けることですね。「この服、すごく気に入っているんだけど穴が開いちゃって」って持ってこられるんですけど、実はその穴が開いているところは、持ち主の方が気に入っているバッグと擦れる箇所、とか。お洋服からそのひとの生活が見えてくる。そうやってお話を聞いて、コミュニケーションをとって直すのも面白いですね。
繕うという行為は、そのひとの過ごしてきた時間を受け取り、これからの時間に渡していくことでもある。こうしてまわりのひとたちと、こまやかにやりとりする生活は、とても健やかに思える。このまちの、ひととひとの距離の近さゆえだろう。
オリーブ園は始まったばかり。金井塚さんは、「(樹々が成長するには)あと20、30年は時間が必要」と、長い目で先を見ている。真鶴で樹をゆっくりと育てながら、針と糸で表現を広げ、深めている。