趣味としての手芸は、一定の人気を保ち続けている。さまざまなジャンルがあり、年代も幅広いから、そのときどきの流行りも反映しつつ、話題には事欠かない。
なかでも、裾野が広いと思うのは、中高年の主婦を中心とした手づくりである。服やバッグのように実用的なものというよりは、特に生活に必要ではない小物や雑貨を編んだり、縫ったりする。何かをつくって生活の足しにするのではなく、つくること自体を目的として手を動かす女性たちが、日本各地に大勢いるのだ。純粋な趣味として、自分の時間をものづくりに費やすことは、いたってふつうなのだった。
今回は、そんなお母さん=オカンの手づくりがファッションと結びついたお話である。
村上亮太さんはRYOTA MURAKAMIで2014年10月にデビューした26歳のファッションデザイナーだ。春夏コレクションのテーマは、ずばり「春」。桜の花や入学式など、春のイメージを突き抜けたポップさで表現した。明るい色づかいや大胆なモチーフが、新鮮でどこか懐かしい。ビジュアルインパクトはかなりのもので、“おっさん”顔が埋め込まれた桜の花の大きなワッペンが服のところどころに貼り付けてあったり、鮮やかな水色のセーターの前面に、立体的な桜の木がはみださんばかりに縫い付けてあったりする。ポップという言葉におさまらない、圧倒的な迫力とヘタウマ的な魅力を放っていたのだ。
このようにRYOTA MURAKAMIの服は個性的だが、ブランドのありかたもかなり異色だ。デザインの原画を描いているのは亮太さんではなく、亮太さんのお母さん、千明さんなのである。しかも千明さんはファッションデザインも絵画もまったく知らない、ファッションとは無縁のひとだ。息子とお母さんのデュオでデザインするブランドは、世界を見渡してもRYOTA MURAKAMIだけではないだろうか。
なぜ、ふたりでブランドをやることになったのか。亮太さんは服づくりをどのように捉えているのだろうか。亮太さん、それから千明さんに話を伺いながら、着ることや手芸について考えていきたい。
息子・村上亮太と母・村上千明のデュオによるファッションブランド。千明がデザイン画を描き、亮太がデザイン、制作する。山縣良和の「writtenafterwards」のアシスタントを経て独立。2013年、「絶命展~ファッションの秘境」(パルコミュージアム、渋谷)に出展。2014年、欧州最大のファッションコンテスト「ITS2014」ノミネート。TOKYO DESIGNERS WEEK「ASIA AWARDS」セミグランプリ受賞。2014年、2015春夏コレクションでデビュー。2015年、「絶・絶命展~ファッションとの遭遇」に出展。現在は店舗を持たず、ラフォーレ原宿をはじめとするポップアップショップなどで展開している。