４）オカンの自由な感性を生かすブランドを始める

もっとも、この前にも、亮太さんのつくるものの方向性が「オカンの手づくり」に向かう兆しはあった。ギャルソンやマルジェラが好きな一方で、亮太さんは野暮ったいのものにも惹かれるところがあったからだ。特に“好きとは言わない”けれど、何かが引っかかってくる。手づくりのものを扱うフリマに行ったりすると、どこかのおばあちゃんが編んだキューピーの服などをかわいいと思っていたという。
だからこそ、オカンの服を思い出したときに、違和感は特になかった。

——自然にいいなと思える感覚がありましたね。こういう表現をしたいな、と。自分の根っこにあるからか、落ち着くというか。
で、あのころ母がつくってくれた服やアップリケのような、温かさのある洋服をつくりたいと思ってスタートしたんですけど、これが全然できなくて。うまくやろうとしていたのか、オリジナリティのない、これだったら僕がやらなくてもいいよねっていうものしかつくれない。入学してからずっと、何もできない状況が続いていて。海外のコンペに出すのが学校のひとつの目標だったのに、ぎりぎりになってもつくれないんです。

行き詰まり、悶々とするなかで、亮太さんはすがるような思いで、実家から当時の千明さん手づくりのものたちを送ってもらった。服で唯一残っていたのは、亮太さんが３才くらいのころのセーターだった。白と水色のボーダー柄に、NHKの人形劇「にこにこぷん」のキャラクター「じゃじゃまる」が編み込まれているものだ。今見るととてもダサかわいいが、３歳児の亮太さんはなぜか１回しか袖を通さなかったらしい。
千明さんが送ってくれた段ボール箱には、他にも編みぐるみやフェルトの人形たちをぎっしりと詰めた箱が入れてあった。「野暮ったい」と感じていた、家にあふれていた手づくりのものたちだった。

じゃじゃまるのセーターと小物たち。独特のかわいいセンス

——それを見て（坂部さんが）「おまえ何もせずにオカンにつくってもらったら？」というんです。追いつめられていましたから、もうそうするしかなくて。実家に帰って事情を話して、母親は何のことかたぶんわかってなかったと思うんですけど、絵を描いてもらいました。

千明さんは服や小物などの手づくりはしていたが、絵を習ったことは一度もないし、絵を描く趣味もない。それでも「オカンしかいない」と思うほどに、亮太さんは切羽詰まっていたのだろうし、オカンの手づくりの記憶が大きかったのだろう。
絵を頼むようになってまもないころのようすを撮影した動画を亮太さんに見せてもらった。千明さんは大好きな福山雅治の音楽をかけながら、食事にも使う平机の前に座り、画用紙に鉛筆で下描きし、それを色鉛筆やサインペンでなぞっていく。「この前、キューピーのときにつくってくれとったキャミソールあるやん」「どんなんやったっけ？」「ひもの足の」「こんなん、ひもの足のチューブトップ」「そうそうそう」「……カニ描く？　カニはどんなやったかな」亮太さんとやりとりしながら、千明さんは手を止めない。

——考えて描いてないから、すごく早いんですよ。僕が10ヵ月くらい何もできずにいて、紙を持って帰って「描いて」って言ったら、20秒くらいで線を描いて２分で色塗りするんですよ。一体なんだろう、と（笑）。

特に何を描いて、と頼んだわけではない。千明さんの好きなものを、好きなように描いてもらったら、桜にイルカ、虹などのモチーフが、みるみるうちに展開されていったのだ。少女マンガ的な素人の絵は、上手い下手を超えた、ちょっとシュールで不思議な魅力に溢れていた。

初期のころの絵。千明さんならではの発想が自由に展開されている

試しで描いてもらった後、千明さんが描いた作品をまとめて郵送してもらった。段ボール箱を「ここのがっこう」の教室で開けると、スナック菓子やカップラーメンの下から、数々の原画が出てきた。先生も学生も興味津々だ。何も狙わず、気負わない絵。描きたいものを描きたいように描いた、のびのびした絵。
段ボール箱には、千秋さんが書いた手紙も入っていた。
「あんまりちゃんと手伝いできんでごめんな　絵かいたりとか得意やないもんで　亮が満足できるようなこと　できんかったね」

こうして、千明さんの感性を生かした RYOTA MURAKAMI が動き始めたのである。