アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#30
2015.06

「一点もの的手づくり」の今

前編 行司千絵さんの服と手芸
5)友人知人に服をつくる

「その服、どうしたん?」自作の服を着ていると、行司さんは友人知人たちに声をかけられるようになった。つくったと知ると、近しいひとたちは、いいね、素敵とほめるだけではなく、自分にもつくってと頼んできたりする。ほめられることは、もちろんうれしい。しかし、謙虚な行司さんは、身内である美知子さんは別として、ひとさまに拙い服をつくって差し上げるなんて「そんなことようせん、かなわん」と思い、ずっと固辞してきた。
しかし、行司さんの服を心底気に入り、「つくってほしい」と言い続けてくれたひとのリクエストに、ついに応えることにしてしまった。最初につくったのは、作家のいしいしんじさんの息子、ひとひくんの服だった。

——いしいさんはお会いするたび、「その服、どうしたん?」といつも聞いてくれはるんですね。で、「自分にもつくって」と言わはるんですけど、技術が至らないのと、あくまで自分の楽しみだったから、ずっと断っていて。それが、息子さんのひとひくんが生まれたときに、「ひとひにつくってほしい」と言ってくれはって、小さい子のやったらちゃちゃっとできるし、と思ってつくったら、めっちゃ喜んでくれはって。こんなに喜んでもらえるものなのかと思って、気づいたら「つくりますよ」と言っていて。そうやって、いしいさんの家族のを少しずつ、つくるようになったんです。

行司さんが、美知子さんと自分以外に初めてつくった服のことを、いしいさんはこんなふうに書いている。

 行司さんがはじめて作ってくれた服は、ようやくハイハイしはじめた息子の、夏用の肌着だった。こんな美しい服がこの世にあるかと、ゆっくり目をこすった。小さなからだを包み、天上から送り届けてくれた真っ白な羽衣。服のかたち、素材、といった見た目だけでなく、作り手の気持ち、僕と家内のこころ、そして生まれでたばかりの、その赤子の存在自体が、服のかたちをとってこの世にあらわれたかにみえた。ああ、こういう光をまとっている、とおもった。服がありありと、僕たちの目にみせてくれたのだ。(リトルプレス『Home Made Mode おうちのお針子物語』より引用)

「羽衣と言うてくれはって……」行司さんはいたく感激した。それからは、ひとひくんを始め、いしいさん、奥さんの園子さんにも服をつくっていく。ひとひくんのオーバーに、猪熊弦一郎現代美術館で売っている風呂敷を使った、いしいさんのサルエルパンツ。奥さんの園子さん、それにひとひくんのギンガムチェックのサルエルパンツも、配色や丈などをそれぞれ変えてみたりした。
それを見た友人がまた、行司さんにつくってほしいと言ってきた。

——いしいさんだけ特別扱いというつもりではなかったし、彼も大切な友人だったから、つくりますよと言って。彼の服やと思ってたら、息子さんの服で「恐竜」とリクエストされて、どうしようかと思いながらつくったんです。

こうして行司さんは、身近なひとのリクエストを受けて、自分ではつくらない服をつくるようになっていった。ほんとうは今でも、つくっているときは技術的にも感覚的にも「ほんまにええんやろか、こんなんで」と後ろめたい気持ちがあって、服が完成して手渡す前はいつも緊張する。
ただ、他のひとにつくるのも、とても楽しいと知ってしまった。洋服づくりを本業とするつもりは全くなく、もうけようとも思っていない。つくるのが楽しいから、つくって喜んでもらえるのがうれしいから、やり続けている。