1)物語のつまった「泊まれる出版社」
「真鶴出版」川口瞬さん、來住友美さん1
真鶴駅から、港に続くバスが走る坂をくだっていく。10分足らずで「真鶴出版」と書かれた、小さな看板が見えてくる。真鶴では、家々をつなぐ路地のことを「背戸道」と呼ぶが、看板の矢印が指すとおりに細い背戸道を進むと、「ここだ」という建物が見えてくる。一見民家のようだが、大きな窓が人々を迎えるようにあり、のぞくと本が並んでいる。
真鶴出版。その名の通り出版社だが、宿泊を兼ねた活動の名称としてこう名乗っている。出版業を担当する川口瞬さん、宿泊業を担当する來住友美さんの夫婦ふたりで営む「泊まれる出版社」だ。
扉を開けると、大きなテーブルを中心に、手前には本や暮らしの品々を並べた、お店のような空間が見える。ロッジ風にも見える天井は高く、空間全体に開放感がある。古い大黒柱もあり、この建物が持つ歴史も感じるが、古色蒼然とした場所というわけではない。桐ダンスや木製のレジスターなどレトロなインテリアがありつつ、新しいものも調和するように置かれている。
2階建てのこの場所は、1階は共用スペースと1、2人用の客室がひとつ、そして2階には3人泊まれる客室となっている。どこをとっても懐かしさや居心地のよさがあるが、「何々系」とカテゴライズすることができない、独特なセンスを感じる。
———いっぱいあるなかで居心地のよさそうなものというか、ここに馴染むものを選んで使っていっているっていう感覚はありますね。(來住)
———ストーリーのあるものを積極的に取り入れようとしています。例えばこのレジ。これは鎌倉の古本屋「books moblo」さんで使われていたものなんです。去年閉店したときに譲り受けました。そういうものって結構あるよね。(川口)
川口さんと來住さんが、この場所をオープンしたのは2018年。
真鶴に移り住んだ2015年から「泊まれる出版社」を掲げ、自宅として借りた築50年の平屋で宿泊を「実験」的に試みていた。その試みをもとに次の展開を考えたふたりは、「旅と移住の間」をテーマに、新しい場所をつくることを目指す。「一泊の”旅”よりも長く、”移住”ほど重くない心持ち」で、真鶴を楽しめる場所。それがここ、「真鶴出版2号店」のコンセプトだ。
まずは、自分たちの足でまちを歩きまわって物件を探すところから始めた。縁あって出会った同世代の建築家ユニット・トミトアーキテクチャとやりとりしながら、改修プランを固めていった。予算や現実との兼ね合いに悩むなか、來住さんの妊娠・出産といった人生を大きく揺るがすできごとも起こり、完成までの道のりは想像をはるかに超える困難なものだった。
それでも、改修に地元の大工さんたちなどにも関わっていただき、多くのひとに助けられながら、なんとか完成した。さまざまな力が集まって生まれた、物語のつまった場所なのである。
もともと川口さん、來住さんは、真鶴に縁があったわけではない。ふたりは東京にある大学で出会い、卒業後川口さんは都内のIT企業に勤め、來住さんは青年海外協力隊でタイに行った。その後、來住さんがフィリピンのNGOでゲストハウス運営に携わることになり、川口さんも会社を辞めて一緒にフィリピンに渡った。それぞれが日本社会の仕組みに行き詰まりを感じ、都市ではなく、地方での生活に可能性を感じていた。
約9ヵ月のフィリピンでの生活を経た後、出版をやりたい川口さんと、宿泊を手がけたい來住さんは日本に戻り、住むまちを探した。
———いろんなまちを見ましたけど、ほんとにどこもよかった。写真家のMOTOKOさんが「真鶴に行きなさい」とお告げのようにすすめてくれて、初めて訪れたのが真鶴でした。その後、タイミングよく「くらしかる真鶴」で2週間の宿泊体験もできた。縁を感じて、流れで移住することにしたんです。(來住)
知り合いのひとりもいないまちで、どのように生活を営み、仕事をつくっていったかは、著書『小さな泊まれる出版社』に詳しい。まちを歩いてまちを知り、ひとを知り、関係性を深めるなかで、真鶴出版は出版と宿泊を兼ねたユニークな仕事のありかたを深めていく。