アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#27
2015.03

とつとつとした点描−美術家・伊達伸明さんの仕事

後編 細馬宏通さん、福永信さんとの対話
8)センチメンタルな「内面」を利用しない 福永信との対話4

福永 いろいろな制作活動が多岐に渡ったり、プロジェクトベースで進んでいくと、こうした活動を「まとめる」っていう必要が出てきますよね。

伊達 そうやってまとめるのはすごく好きですね。興味の対象が断片的であるがゆえに、多岐に渡れば渡るほどまとめるフォーマットが欲しくなる。それを意識しながら活動を整理すると、断片が並び直されたりする。

福永 記録は二次的で、あくまでも「ライブ」の活動が重要、としないところが面白いですね。それはでも、まとめだけで知って、実際の作品(という言い方もおかしいですが)を見ていない「読者」をつくってしまうことになるじゃないですか。そのことはどう考えてますか。

伊達 それは気にしないですね。仙台の(亜炭の)活動はウクレレのウの字も出ない活動だし、仙台の人達にウクレレ化計画を知ってもらわねば、とも思わなかった。ウクレレの持ち主のひとに逐一活動を知らせているかというと、していない。無責任な言い方かもしれないけれど、その場その場で掘り出してまとめたものが、どういうふうに見られるかはいろいろあるから、お任せしますと。

福永 理想的ですね。それは活動のベースになるものを前提として説明しないでも成立するからですよね。もちろん深くこれまでの作品のことを知ってもいいんですが、それがなくてもかまわない。「自分はこういうことをやっている」と最初から全部説明しないといけないのはどこか寂しい。自分の内面から何かものをつくっているひとだと、そうしないと作品が成立しないんでしょうけどね。でも伊達さんは内面がないので。

伊達 うん。

福永 うんって(苦笑)。

伊達 あるけれど、あんまり大事なものではない。

福永 内面は外に置いてきたという感じかもね。つまり、からだを動かしたり、ものを考えたり、いろいろとやってるうちに、かろうじて出てくるものとして内面があるんでしょうね。
そこで話が飛ぶようですが、小説を考えると、作品にはタイトルがあって、作者名がきてから、文章を読む、そんな順番になっている。どんな媒体でも小説は作者名と本文が近いんですよ。作者を知らずに読むというのはなかなかない。作者と読者の関係って、文学の場合単純なんですよね。ある意味で、疎外されているようには最初から思えないようになっているんですよ。作者にも作品にも感情移入できるんです、簡単に。内面が安易に拾えてしまうんですね。まあそういうものが小説と思われているんですけどね。伊達さんはときに忍者のように、自分を消しながら多くのひととかかわって作品をつくっているなあと思うんです。僕も、作品を城のように閉ざすのではなく、忍者のように、いくつもの入り方ができるように(忍び込めるように?)したいです。
伊達さんがあまり有名にならないようにしているようにも見えるのも、そのことに関係してるかもしれない。消費されないように、というか、「消費」という目線を周囲につくらせないようにしていると思うんです。

伊達 それを揺るがせるようなことがときどきあるんですよ。テレビの取材とか。でも出てみたら意外と何の反応もなかった。どこまでオーダーを受け入れたらいいのか、さすがになんとなく見えてきてはいますね。

福永 「何の反応もなかった」というのはすばらしいですねえ。消費されなかったということですからね。

伊達 活動しているその内容がメインになるはずなのに、それが存在表明になると深い悩みを抱えますからね。建築物ウクレレ化保存計画っていう名前を考えたときに「これで『伊達伸明個展』って言わなくて済む」と思ったんですよね。今はある程度落ち着くところに落ち着いたなと思いますが。

福永 持続してきたからですよね。

伊達 見るひとは始めは「ウクレレの伊達」だったのが、「ひとの話を聞き取る伊達」となり、「まちのコンテンツをどうにかする伊達」と、観るひとが拡大解釈を続けるから、次にどんな枝葉が伸びるかわからない。展覧会も僕が伸ばした枝葉とは違うところをテーマにするんですね。それは終わりは見えない。

福永 お話を聞いていて、伊達さんには内面がないというか、自分のなかにあって他人には見えない世界をつくるのではないんだと思いました。「物質そのものへの視線」だけがまずあって、そこから人間の感情が出てくるという順番ですね。だからそれはあらゆるところに見つけることができるし、子どもから大人へみたいな順番も関係ない。そして、大きい音で驚かすんじゃなくて、誰もが笑っちゃうようなアプローチをしているっていうところが魅力なんですよね。

「おみおくりプロジェクト」展にて。庭に置かれた幼少の伊達さんの写真展示に、カマキリがやってきた

「おみおくりプロジェクト」展にて。庭に置かれた幼少の伊達さんの写真展示に、カマキリがやってきた

亜炭香古学
http://www.sendaicf.jp/atan2013/

構成・文:榊原充大
建築家、リサーチャー、京都精華大学非常勤講師。1984年愛知県生まれ。建築等に関する取材執筆、物件活用提案、調査成果物やアーカイブシステムの構築など、編集を軸にした事業を行う。2008年、より多くの人が日常的に都市や建築へ関わるチャンネルを増やすことをねらいとし、建築リサーチ組織RADを共同で開始。同組織では主として調査と編集を責任担当。寄稿書籍に『レム・コールハースは何を変えたのか』(2014)。

写真:森川諒一(表紙、伊達伸明のプロフィール、ページ4〜8)
1982年生まれ。写真家。2009年よりフリーランスとして活動する。人物撮影を中心に、京都を拠点とし幅広い制作活動を行う。