4)建築物からウクレレをつくる
「あのときは全部まとまった、全てがガチっとはまった感じがしました」
当時、取り壊しの決まった建築物から楽器をつくるアイデアを思いついたときの衝撃を、伊達さんはこう説明する。
———建築物から楽器をつくると決めたとき、これまで考えてきたこと、やってきたことが全て合致した。波板写真としてこれまで四角いフレームで切り取っていた経年劣化した建物を、そのままウクレレのかたちとして扱っているようなものだと思った。これまで取り組んできた音にまつわるプロジェクトだし、僕が得意な木工ができる。「これだけやっていればいい」と思いこんだ時期もあったくらい。とにかく気持ち良かった。作品の売り買いや出品者 / 観客という関係とは違うひととの接点を、制作を通じて持てそうな気がした。
建築物からつくる楽器は、どう弾いたらいいのかわからないオリジナル楽器ではなく、より多くのひとたちにとって親しみやすい、手に馴染みやすい楽器を、という考えから伊達さんはウクレレを選んだ伊達さん。アイデアを実際にかたちにするための試作として、「京都芸術センター」開設のためにちょうど改修を控えていた、以前「TAP THE SPACE」を行った旧明倫小学校からウクレレをつくった。
———1作目となった旧明倫小学校は以前サウンドインスタレーションでも会場にしていたところだったから、再現すべき“風景のツボ”がわかっていた。これも縁やなと思いましたね。この試作で「いける」という感触を持てました。
第1作目として旧明倫小学校の建材でつくったウクレレ
作品を通して「ひととの関わり方」を考えていた伊達さんにとって、建築物を楽器にすることは新たな関係性を試みる機会だった。それに気づくきっかけとなったのも、現京都芸術センターでのアーティスト・イン・レジデンス企画だった。
———ちょうど旧明倫小学校が「京都芸術センター」としてスタートする1年目、第1回目のレジデンスに僕は入っていたんです。地元のひとがたくさん来ていましたし、関係するひとたちと話す機会がたくさんあったので、この建物を使っていたひとに聞き取りを行いました。「元・自治会長さんが、あそこの喫茶店にずっといるから聞きにいけ」と言ってもらったり。
最初に着想があったときには思い至らなかったと言うが、建築物の持ち主に話を聞きながら楽器にするパーツを選んでいくように、展示会場で作品と観客を関わらせるだけではなく、作品になる前にひととの関わりがある。「学生時代に思いついたとしても、制作を通してひとと関わるというところまでは至らなかったと思う」と伊達さんは語るが、こうして、新たなライフワークとして「建築物ウクレレ化保存計画」がスタートする。
2000年には「建築物ウクレレ化計画」として第1回目の展覧会を開催。制作を通して生まれたあるひとの半生を、作家発の表現として個展形式で伝えても何か違和感がある。それなら仮にそれが事後報告のようなかたちになったとしても、そこにひとが関わったという厚みが伝わるならそれでいいやと伊達さんは確信し、ていねいな説明を行う博物館的な展示を試みた。
2004年には作品集も出版され、今なお伊達さんの制作の根幹でもある「建築物ウクレレ化保存計画」。では、実際にどのような制作が行われているかを次に見ていこう。
(上下とも)「建築物ウクレレ化保存計画」第1回展示(2000年、アートスペース虹、京都)。ウクレレ本体の他に、元になった建物の写真や伊達さんによる解説文もつけ、博物館的な展示となった