9)終わりに 小さな声で、共感を広げ続ける
三谷龍二さんのものづくりとそれを伝える取り組みを、前編・後編にわたって見てきた。30年以上の歳月は、何かを伝えるにはじゅうぶんな時間である。大きな声で多くのひとを集めるのではなく、小さいけれどたしかな声で、まわりのひとりひとりに思いを伝え、その共感を広げてきた。いま、三谷さんのやってきたことは、時代の表面に浮かび上がり、広がっている。
「捕まらないように」。三谷さんは木工を始めたころに、そう心がけてきた。木彫の古いイメージや意匠にとらわれることなく、時代を超える、普遍的なものづくりへと進んできたのだ。
ものを介して、作り手と使い手が出会う場づくりも、三谷さんにとっては同じなのではないだろうか。場というのは、まとめようとしたり、強いメッセージを発しようとすると、いとも簡単に遊びの部分を失い、形骸化してしまう。そうならないように、ある程度はまとめるのだけれど、参加する個人に委ねる部分もできるだけ残す。そうして新しいことを提案したり、引き算したりして、その時々で動いていく。大きなフェアも、小さな自身のスペースも、三谷さんの思いは変わらないけれど、あまり大きすぎると手にあまる。目と手と、そして声の届くところが、三谷さんにはちょうどいいのである。
——「10センチ」の数十人規模も、それなりの面白さはあると思うんだよね。クラフトフェアみたいな大きいところだけじゃなくて。「10センチ」では、トークショーなんかも始めたんだよ。地方でそういうことをやる場ってなかったから。トークしてくれるひとたちがなかなか地方に来れないし、しかも小さい空間だと難しいよね。だから、そういうことができたらいいなって。自分の時間のなかでやっているから、できる範囲だけれども。やっぱり、具体的に人がつながる場所として機能すればいいと思ってますね。まちが好きですからね、みんながまちは楽しいなって思ってくれればいい。
三谷さんはまた、自分のまちともかかわりを持ち、まちの景色を変えてきた。「まちの伝統を守る」とか、大義名分があってのことではなくて、ただ単に自分の居るまちを心地よく、楽しくしたいからだった。大声をあげて旗を振らなくても、「まちおこし」とは本来そういうものだ。三谷さんを見ていると本当にそう思う。日々の生活をていねいに過ごすところから、こんなにもいろんなことがつながり、広がってっていく。
これからしばらくは、生活工芸祭とともに、小さな自身のギャラリーでも、たしかに伝えていくことを、着実に続けていくのだろう。作り手にも使い手にも、「生活のなかの良質な工芸」への共感が広がり、根づいていくことを願って。