3)時間をかけて地域との関係を築く
E9が建つ東九条エリア(南区山王学区の竹田街道より東側の7箇町)には、大正から昭和にかけて朝鮮半島から渡ってきた人たちが定住し、現在も在日コリアンのほか、多国籍市民が多く居住している。かつては住宅が密集していたが、コミュニティ住宅などの整備が進められ、集合住宅と戸建て、空き地が混在するエリアになっている。交通の便のよさからホテルや民泊が急増する一方で著しい人口減少、高齢化が起こっており、東九条全体では1965(昭和40)年から2015(平成27)年の50年間で人口は73%減り、1,861人にまで落ち込んでいる。その約40%は高齢者であり、都市部における過疎高齢化が顕著にすすんだエリアである。
同時に、東九条では、自治連合会や地域文化施設・地元芸術団体など住民自身の手によって、国籍の違いや障がいの有無を超えて多様な背景を持つ人々が共に暮らせる「多文化共生」に取り組んできたまちでもある。
京都市は2017年3月に「京都駅東南部エリア活性化方針」を打ち出し、「文化芸術」「若者」をキーワードにした都市再生の取り組みを進めている。すぐ近くの京都駅東部の崇仁地区には、2023年に京都市立芸術大学が移転してくるなど、文化芸術に関わる人たちが注目するエリアになってきている(*)。
* 参考「京都駅東南部エリア活性化方針」京都市発行
東九条に建てることになったのは、まったくの偶然です。私たちには地域を選ぶ余裕はなく、八清さんから劇場に転用できる可能性のある自社物件を紹介していただいたことがきっかけです。ですが、地域住民との関係を大切にしなければ、「100年続く劇場」はつくれないとも思っていました。アトリエ劇研を閉じるとき、近隣の住民から惜しむ声はまったくなかった。むしろ騒音や通行の妨げになるなど迷惑施設だと思われていたかもしれない。「劇場文化」や「広場としての劇場」などの耳障りのいい言葉が流布していますが、実際は市民の生活と劇場や舞台芸術は乖離していた。東九条の住民に受け入れてもらわなければ劇場は建てられないし、続けられない。
蔭山 いま思えば、お金を集めるために開館まで長く時間がかかったことがよかった。開館までのプロセスにかかった時間がそのまま地域のみなさんとコミュニケーションをとっていく時間になったんです。なんの交流もないままに建っていたら数年のうちに「うるさい」「交通の邪魔」となって追い出されていた。実際に多くの小劇場がそうなっています。
あごうと蔭山は、この地域に詳しい方のアテンドで、キーパーソンとなる住民の家を1軒1軒挨拶に回った。京都市の「京都駅東南部エリア活性化方針」の住民説明会にも同席し、この地域につくろうとしている劇場の説明も行った。住民からは強い反対はなかったものの、突然現れた「芸術関係者」に戸惑い、緊張しながらその言葉と行動をみていた。
あごう 京都市の行政としての方針は出ていますが、住民の本音としては「文化芸術」よりもスーパーマーケットやマンション、地域で育った若者が住み続けられる環境といった生活にダイレクトにつながるものが欲しい。当たり前ですよね。なのに「文化芸術を持ってきます」って言われたら「それで、どうやって飯食うんや」となる。どんなひとが出入りするのかも、文化芸術でまちがどうよくなるのかが想像つかない。
そもそも東九条には、住んでいる人たち自身が培ってきた文化やお祭り、ご近所づきあいや生活の在り方がある。それが壊されるんじゃないかという懸念もある。わからないことが何重にも重なってやってくるストレスを感じられていたんだと思います。
蔭山 文化施設や文化芸術への「わからない」「知らない」という不安に、これまで施設を建てる行政や、文化芸術をやる側がまっとうにこたえてきたのかという反省もあります。僕には、長野県松本市の「まつもと市民芸術館」の開館直前に建設反対派の市長が当選し、「市民にとって劇場や舞台芸術が本当に必要なのか。それを証明しろ」と問われた経験があります。
市民と実際に話してみると、開館後の運営やプログラム説明の不十分さに対して不安や不満があるから反対しているひとが多かった。だったら、言葉を尽くして説明し、具体的な提案をしていけば、味方になってくれる。文化施設を建てる側の都合や理屈ではなく、みんなに祝福してもらえるように、つくる側は大きなエネルギーを注ぐべきでしょう。