8)「路地に守られている」という感覚
写真家・石川奈都子さんの場合3
石川さんが、町家から離れられない理由がもうひとつある。それは、“路地に守られている”という感覚だ。
———大家さんがそばにいる環境で住んでいたいんです。その方が安心だし、安全だから。入居したての頃にも、水道屋さんやガス屋さん、信頼できる大工さん、近くの薬屋さんや病院、買いやすいスーパーなんかも、大家さんに教えてもらいました。長年ここに住んでおられて、地の利を把握されている大家さんが、付かず離れず見守ってくれていて、困った時には相談にのってくれる。その方がネットで調べるより早いし、信頼できる情報が得られます。今は、町内会の組長を3、4人で回しているのですが、最初の頃は、大家さんが免除してくださったりして、守られているなあ、と感じましたね。だからわたしも、住み始めは町内運動会に参加して、顔を覚えてもらうように努力しましたよ。
三上家の路地は袋小路なので、余計コミュニティの結束力は強いという。この路地がひとつのまちのようなものなのだ。
———お隣さんの声も、うちの声も、互いに聞こえはするけれども、干渉し合わないという距離感。それをうっとうしいと感じるか、安心だと感じるかで、ここの住み心地はずいぶん変わってくると思います。
町家に住んで、作品に影響が出たり、目のつけどころが変わったなど、何か自分自身が変わったような体験はあるか聞いてみた。すると、意外なことばが返ってきた。
———雨が好きになりましたね。ここの路地の石畳が雨に濡れた時、きれいやな、と思ったことがあって。雨のよさは、西陣に来てあらためて感じたことでした。
カメラマン泣かせの雨を、好きにさせてしまうとは。しかし、町家がアーティストたちを魅了するのは、まさに「こういうこと」なのかもしれない。一般的に不便だとか居心地悪いとされてきたことを、いったん白紙に戻し、新しくものを見つめる視力を養う場所。養うことを余儀なくされる場所。それが石川さんのいう“町家は自由”たる所以なのだろう。
今回の取材中、まちかどのあちこちで、何度となく石川さんの顔を見て、立ち話を始める“ご近所さん”に遭遇した。
「あれ、なっちゃん、ちょっとふっくらしたんちゃう?」
「実は、赤ちゃんができたんです」
「ああ、やっぱりそっか! それはおめでとう」
自分の暮らすまちのひとが、自分のことをそれとなく理解してくれている安心感。ものづくりをする人々にとって、まちに、路地に守られているその感覚は、ものづくりに集中するための、何にも代えがたい力であることだろう。西陣がその長い歴史のなかで培ってきた“町全体で職住一体のものづくりを支えるシステム”は、地層が変化するようにじわじわと時間をかけてかたちづくられてきた。その底力が、今、思いも寄らぬかたちで、若いアーティストたちを支えている。
次号では、さらに西陣の町家でものづくりをする人々を訪ねる。新旧が有機的に混じり合い、草木が繁茂するように自然と発展していく西陣の今を追ってみたい。
町家倶楽部ネットワーク
http://www.machiya.or.jp/
参考文献
『西陣グラフ』第255〜266号(西陣織工業組合)
『西陣 織のまち・京町家』(片方信也/つむぎ出版)
『西陣 織と住のまちづくり考』(片方信也/つむぎ出版)
『天狗筆記物語—私説西陣の歴史—』(駒敏郎/西陣織工業組合)
『京の町家案内 暮らしと意匠の美』(淡交社編集局/淡交社)
『京町家・千年のあゆみ 都にいきづく住まいの原型』(高橋康夫/学芸出版社)
『京の町家 次の千年続けます』(上田賢一/廣済堂出版)
編集・取材・文:姜 尚美
編集者、ライター。出版社勤務を経て、現在はフリーランスで雑誌や書籍を中心に執筆活動を行う。
著書に『あんこの本』『京都の中華』、共著に『京都の迷い方』(いずれも京阪神エルマガジン社)。
写真:石川奈都子
写真家。建築、料理、プロダクト、人物などの撮影を様々な媒体で行う傍ら、作品発表
も精力的に行う。撮影を担当した書籍に『而今禾の本』(マーブルブックス)『京都で見
つける骨董小もの』(河出書房新社)『脇阪克二のデザイン』(PIEBOOKS)『Farmer’sKEI
KO 農家の台所』(主婦と生活社)『日々是掃除』(講談社)など多数。