7)快適さよりも自由がほしい
写真家・石川奈都子さんの場合2
石川さんは、大阪の北摂生まれ。実家が呉服商で、炭屋や地酒屋などが残る伝統的な宿場町の古い町家に生まれ育った。短大卒業後、京都の染織作家の工房に勤めるが、実家からの通勤が大変なため、20歳の頃に京都に移り住む。その工房では、テキスタイルのモチーフとなる写真を撮影するという実験的な仕事を任されていたそうだ。
転機が訪れたのは1996年。先にも登場した佐野さんがその染織作家の師匠と知り合いで、「西陣にいい空き町家の物件があるんやけど」と連絡があったのだ。その話を師匠に聞いた石川さんは、間髪入れず「見に行きたい」と申し出た。
———生まれ育った実家の町家の感覚が身にしみついていたこともあり、いつか京都の町家に住んでみたいな、と思っていました。それが京都で働こうと思った理由のひとつでもあったんです。だから、師匠からその話を聞いた時は、飛んでいきましたね。
その空き町家とは、西陣の紋屋町にある三上家の長屋。三上家はその昔、西陣が度重なる戦乱で荒れ地となった際、復興の中心となった高級織物商のひとつで、織物を織らなくなった今も由緒ある路地を守っている。石畳が美しい路地の両脇には、かつて三上家に属した織物関連の職人さんらが住んでいた長屋が並び、江戸時代までは、この路地で一本の織物をつくり上げることができたそうだ。
石川さんはその光景にひと目惚れ。しかも家賃を聞くと、これならアルバイトしながらフリーの写真家として生活していくこともできるかもしれない、という値段だった。
———そこからは早かったですね。最初に見に行ってから、1週間で入居を決めました。
その後、石川さんは写真家として独立。フリーカメラマンとして精力的に活動を始める。一軒の空き町家が、ひとりの写真家の独立をうながしたのだ。
———壁を何色に塗ってもいいと言われたのが、嬉しかったですね。次に誰かに貸すことになったら、その壁を気に入ってくれはるひとに貸すから、と。その自由な感覚がすてきだなと思いました。
噂によく聞く「同居人」にも、やはり遭遇するのだろうか。
———確かに、イタチくんが階段を軽やかにかけ降りたことがあります(笑)。おかきを食べる音が聞こえてきたり、窓から顔をのぞかせたり……。でも、にぎやかで結構という感じ。そうそう、イタチくんがいる時は、ネズミくんは出ないんですよ。知ってましたか?
さすがは町家育ちの石川さん、ひるむようすが全くない。家のなかに目の届かない場所やもの・ことがある。それは彼女にとって、怖いことでも不便なことでも何でもないのだ。
———ここに来る前はアパートに住んでたんですが、そっちの方が確かに快適。快適なんですけど、きっと飽きるな、と思いました。洗濯機を置くところ、冷蔵庫を置くところが決まっている。ものごとがすべてあらかじめ規格化されている。それがとても窮屈でした。その点、町家は本当に自由度が高くて、面白い。この板間に何を置こうか、そうだ押し入れを本棚にしよう……と何度、模様替えを楽しんだことか。そうそう、斜め向かいに陶芸家の友人が住んでいますが、彼女も、この路地で2軒空いていた町家のうち、“風呂のない方”を選んだそうです。ここの路地の長屋には、裏に外風呂を置くスペースがあるのですが、その一軒だけたまたまお風呂がなかったので、そこに窯が置けたんですね。普通は“風呂なし”というのは不利な条件になるんでしょうけど……(笑)
住みようによって、住居にも、事務所にも、アトリエにも、スタジオにもなる町家。想像力のあるひとに町家は向いている、と石川さんは言う。若いアーティストたちが西陣の町家に入居したのは、やはり必然だったのだろう。