3)はからずも訪れた転機
2001年3月、2人は大学を卒業。五十嵐さんは採用された会社に就職するため新潟に戻り、星野さんはそのまま山形に残った。
その直後、2人に思わぬ転機が訪れる。
五十嵐さんが働くはずだった部署が、会社の事情でなくなってしまったのだ。前述のワークショップで自分なりの手応えを感じた五十嵐さんは、県の地場産業を支援する事業を行っていたその部署に入ることを熱望していた。小さな部署で、求人募集がなかったにもかかわらず、「アルバイトでもかまいません」とアタックし続け、ようやく採用が決まった職場だった。
その部署がなくなることが決まった時、会社が五十嵐さんに提示した選択肢は2つ。ほかの部署で働くか、「給料は出せないが空いたスペースを無料で貸すからやりたいことをやってみては」というものだった。五十嵐さんは、とっさに後者を選ぶ。
ところが、サラリーマンの父は「給料が出ないなんてありえない」と猛反対。自分自身も不安だらけで、反論できる自信もない。孤独に押しつぶされそうになった五十嵐さんは、ある日、星野さんに泣きながら電話をかけた。星野さんは二つ返事でこう答えた。
「家賃も払わずに何かできるなんていいじゃない。 新潟に帰るから、一緒に何かやろう」
さて、何をやるか。その時、2人の頭に浮かんだのが、あの「犬のマット」だった。そうだ。HOUSE doggy matを売ってみよう。さっそく穂積繊維工業に連絡すると、穂積社長が快諾してくれた。しかし、すぐに切実な問題が浮かび上がる。
2人にはサンプルをつくってもらう資金がなかった。そして工場にもデザイン料を払う余裕はない。でも、このマットを売ってみたい。その気持ちだけは一致していた。そこで2人は、ある“物々交換”を申し出た。
———今ある材料でいいから、タダで2、3枚マットをつくってください。その代わり、それをサンプルにわたしたちが行商に行きますから、とお願いしたんです。(星野)