4)カートひとつで「行商」へ
そうしてマットのサンプルが出来上がり、いよいよ「行商」が始まった。
電話帳片手に(当時は今ほどホームページを持つ会社や店がなかったのだ)、東京のセレクトショップやインテリアショップに片っ端から電話をかける。アポイントメントがとれると、マットを丸めてカートにくくり付け、2人で営業に出かけた。
何のつても経験もない、大学卒業したての若い2人。たどたどしい営業トークに、電話口ですげなく断られることもたびたびだった。それでも、ここぞと思った会社やショップには、めげずに何度もアタックし、ある日たまたま電話に出た社長が興味を持って展示会に呼んでくれ、そこから一気に取引先が広がったこともあった。
———商売のやり方を何も知らずに始めたのがよかったんだと思います。知りすぎていたら、きっと考えすぎてだめだった。会って商品を見てもらいさえすれば何かが変わるかもしれない、その一心で動いていました。わたしたちにはこのマットがあったから。(五十嵐)
気持ちを支えていたのは、自分たちの“商品”への自信。マットの開発に、最初から関わっていたことも大きかった。
———どうやってこのマットが生まれたかを、わたしたちはしっかり伝えることができる。その自信だけはありました。実際、行商時代につくった資料は、今見ても内容がしっかりしています。そして、しつこい(笑)。A4用紙3枚にこのマットがどうやって織られているかが、びっしり書いてある。当時は商品の生産背景や地方の地場産業について、そんな風に詳しく説明するひとはいなかったので、スタイリッシュなものに飽き飽きしていたようなひとたちが、興味を持って、わたしたちを“拾って”くれたんです。(星野)
文字通りの、行商生活。「行商」ということばや考え方が、ついこの間まで大学生だった彼女たちの口からさらりと出たことに驚く。新潟にはその昔から、冬の農閑期の副業として、縮布や薬、醤油や味噌などの行商がさかんだったと聞く。新潟生まれ、新潟育ちの彼女たちのDNAには、そんな風土的背景も少なからず組み込まれているのかもしれない。