1−2)ものづくりをつなぐために
スローとローカル できる範囲で、等身大で
(スローとローカル これからのファッション #22、#23)
「地域」から「ジャンル」に視点を移すと、どのようなものづくりの状況が見えてくるだろうか。ファッションにおける「スロー」で「ローカル」な服づくりに着目し、つくり手の変化と伝え手、つなぎ手の模索を取り上げた。スローファッションは大量生産・大量消費型アパレルに対抗する、あるいは補完するような服づくりをいうが、ここでも、自分たちの「できる範囲」はキーワードとなっている。
「Culture」「Local」をテーマにしたセレクトショップ「ミツカルストア」(PARCOプロデュース)を立ち上げた平松有吾さんによると、若い世代はブランドを始めたとしても、これまでの枠組みやビジネスサイクルにとらわれない。店を持つ、パリに行くなどの王道のコースを辿るのではなく、地元や好きな場所に住み、SNSなどで情報の受発信を行いながら、つくりたいものをつくり、生活していくことを目指している。それはまた、遠くの不特定多数に届けるのとは違う、「身近なひとに向けたものづくり」でもあるだろう。
たとえば、ファッションブランド「suzuki takayuki」を手がけるスズキタカユキさんは、独自の道を歩んでいる。ファッションビジネスからは距離を置くインディーズブランドだが、彼なりにそのありかたを模索し、選択したのが東京と根室という2つの場所を行き来するワークスタイルだった。根室をクリエーションの拠点にしながら、仕事は東京で進める。SNSやメールなどがあれば、スタッフや工場などと顔を合わせる必要のないやりとりも困らない。現在、スズキさんは釧路にいることが圧倒的に増えている。
もちろん、スズキさんのキャラクターやフットワークの軽さも大きいが、創作に集中しやすい環境に身を置くことは、つくり手として自然な流れであるようにも見える。東京を離れて創作活動するひとたちは、この先も少なからず出てくるのではないだろうか。
一方で、若手のファッションブランドやデザイナーと、地場の繊維産業をつなぐひともいる。キュレーターの宮浦晋哉さんは全国の繊維産地をまわるなかで、その窮状を目の当たりにしてきた。いずれも高齢化が進み、後継者不足という状況で、これからの数年が伝統を次世代にわたす最後のチャンスだと考えている。そして、自分にできることのひとつとして、地場のものづくりと若いつくり手をつなぐ「場」を立ち上げた。東京の下町・月島の「セコリ荘」では、デザイナーや職人とともにファッションブランドをつくったり、学校を開校するなどの試みを行っている。また、お客とのコミュニケーションも考えて、Tシャツやバッグなどのセミオーダー的なサービスも開始。生産者やデザイナーとつながっている場所だからできることを模索している。
このような草の根的な活動がいくつか生まれることで、日本のものづくりの今後も変わっていくのではないだろうか。地場産業の生産者たちが、自ら再生の道を見つけることはそう簡単ではない。マーケットの分析や、今求められている商品の企画をするなら専門家が必要になってくる。ただし、政府から補助金をもらって東京のコンサルやデザイナーを呼び、それらしいものをつくったはいいけれど、その先につながらないというケースも数多くある。
繊維やファッションを中心に動く宮浦さん、地域に根ざすエフスタイルのような「あいだ」の存在。彼らに続く人材が、いまいっそう待たれている。