2)写真の町の40年 文化の根幹 / 裾野を広げる
「らしさ」を追求するまちづくりが進むにつれ、移住者の職業や年齢層の幅も大きく広がった。2010年代以降は、天然水を生かし素材にこだわるカフェ、レストラン、ベーカリーなどの飲食店、クラフト作家の工房、セレクトショップなどが増え、田園風景のなかに都会的に洗練された店舗が点在する、現在の東川町を象徴する風景が形づくられていった。
また、2014年に「写真文化首都」を宣言する一方で、大雪山文化、家具デザイン文化など、まちにある資源を文化ととらえ、文化のまちの裾野を広げる動きが加速した。今回の連載で詳しく紹介した「せんとぴゅあ」が、それらの複合的な文化を体現し、交流を生み出す文化施設としてちょうどこのころに誕生したのは見てきた通りだ。
こうしたまちの発展の過程で、松岡前町長が理念として掲げたのが「適疎(てきそ)のまちづくり」だった。2018年の私の取材で、松岡さんは次のように語っている。
———東川町は、“過疎”ではなく、人口8000〜1万人のあいだで、ちょうどよい“疎(そ)”のある “適疎”の町をめざしています。東川らしい暮らしというのは、“疎”があること、つまり間(ま)があることだと思います。都市とは違うゆとりのある空間と時間、そして顔の見える仲間との関係性があることが、これからの暮らしの豊かさになるのではないでしょうか。
右肩上がりの経済成長を前提とした時代が過ぎ、過密を避けるポストコロナの時代を迎えるなかで、ここで語られた「余白のある暮らしの豊かさ」は、時を経るごとに他地域からの移住者やファンを惹きつける魅力となっていった。
2023年、5期20年にわたる松岡町政を引き継いだのが、現町長の菊地伸さんである。菊地さんは元町職員として東川スタイル課長、産業振興課長などを担当し、2000年代以降の町の変化を現場で体感してきた一人だ。

菊地伸さん
———文化のまちづくりが本当に浸透したのは、この10年ほどではないでしょうか。松岡町政の20年を振り返ると、就任から10年以上経ったころに、日本語学校や国際交流、家具デザイン文化などの点と点がつながり、面になってきた感覚がありました。がむしゃらに取り組んできたことが、ようやく成果として見えてきたのが今だと思います。
その成果の一つとして、東川町の人口は1995年の約7000人を底に、現在は約8700人まで回復している。
———この35年ほどで、人口は20%以上増えています。少子高齢化で自然減が大きく進むなかで、定住人口が着実に増えてきたことを示しています。それに加えて、町外から町を理解し応援してくださる関係人口の存在も大きい。そうした方々の知恵や関わりが、町を支えているんです。
こうして進んできたまちづくりの成果の根幹にあるのが、「写真の町」だと菊地町長は語る。
———「写真の町」は、40年間、私たちのそばに柱のように立っていた、いわばバイブルのような存在です。その幹が、少しずつ太くなってきた。一見、写真とは関係ない取り組みでも、「東川町は写真の町なんだ」という意識がある。ポスター一つをつくるにしても、デザイン性を大切にしようと考える。建物を建てるときも、新しい事業を始めるときも同じです。写真の町である以上、一定の質を保ち、未来を見据えて考え続けなければならない。そう思い起こさせてくれるのが、「写真の町」なんです。
こうした考え方が醸成されることで、町の事業にとどまらず、町民の取り組みにも、「東川らしさ」を追求するマインドが育まれていった。このように、写真の町づくりは、まちの「らしさ」を培う営みとして40年間積み重ねられ、写真を軸とした文化のまちづくりへと裾野が広げられてきた。

東川町北部にあり、高台から東川のまちを一望できる自然公園「キトウシの森」には、過去の写真甲子園を記念して植えられた木々が育っている


