「デザイン」という言葉は、ずいぶん広い文脈で使われるようになった。さまざまな課題において、しくみをつくり、解決に向かうための思考と技術として定着している。ただ、組織も社会も、人生も、と、あまりに広範に使われるようになって、言葉がひとり歩きし、消費されていくような傾向もみられる。今いちど、デザインの本質とは何か、立ち止まり、考え直すことが必要な時期かもしれない。
そのひとつの大きな手がかりとして、今回はイタリアのデザインを広く取りあげていきたい。かつて、第二次大戦後のイタリアには、こんにち使われているような広義のデザイン活動を指す用語がなく、それらは「プロジェッタツィオーネ」と呼ばれ、その当事者たちは自らを「プロジェッティスタ」と称した。彼らにとって、デザインとは単なる造形ではなく、社会とのかかわりのなかで生みだされる思考と実践だった。もう60年、70年前のことだけれど、それはまさにデザインの源流とも呼べる、示唆に富むものでもあった。
一方、現代のイタリア各地で、その精神に通じるような活動が、デザインにとどまらない領域で行われている。彼らはプロジェッティスタに直接教えを受けたわけでも、プロジェッタツィオーネを勉強したわけでもないから、なおのこと興味深い。キーワードは「人間的」だろうか。
ナビゲーターは批評家でアーティストの多木陽介さん。1988年にイタリアに渡ってから、イタリアのデザインや隣接する領域で多くの人に会い、思考を重ねてきた。近年はまた、彼らの活動をめぐる教育的なプロジェクト「移動教室」も主宰している。最終回では、取材をもとに、多木さんに話を伺っていく。
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