4)革命的な展示 人に本当に必要なもの
ジャンフランコ・カヴァリアに聞く1
カスティリオーニは1962年に兄のピエール・ジャコモとスタジオを借りて協働していたが、1968年に兄が亡くなる。その後、いっしょに仕事するようになったのが建築家のジャンフランコ・カヴァリアさんだ。1972年から30年近くにわたって、ふたりは多くのプロジェクトをともに手がけてきた。カヴァリアさんは、当時から活動をつづける数少ないプロジェッティスタのひとりなのだ。
カヴァリアさんのスタジオはトリノにある。カスティリオーニのスタジオとはまた違って、整然としているが、人を緊張させない。石造りの建物の美しさもよく引き立てられている。
———カスティリオーニさんのプロジェッタツィオーネっていうのは、いつもある革命的な要素を持っていて、それはどこにあったかというと、1つには機能の部分をすごく大事にするんですね。フォルムを大事にしないわけではないんですけれども、どうして機能を強調したかというと、それまでの時代のブルジョワの家の機能を無視した様式美を批判するための1つの武器として、機能というのを選んで振りあげていた。
「ヴィラ・オルモ」というコモ湖に面したヴィラで、1957年に《Colour and Form in the Modern Home》というインテリアの展覧会がありました。このとき、カスティリオーニ兄弟が見せたインテリアの展示は、いまだに語られる革命的なものでした。他の建築家たちも展示を出しましたが、彼らは何らかのスタイルをつくっていた。ところが、カスティリオーニ兄弟はそれを一切無視して、ノースタイルだったんです。自分たちがつくったものも世の中にあるものも全部集めて、上手く使える機能があるものだったらいいじゃないかと。
展示物には元々は病人用の、屋外で使うための折りたたみ椅子がありました。座り心地がいいんだったら家の中で使えばいいじゃないかと、それをインテリアのなかに置いたんです。これを置いた途端に、モコモコとボリュームのあるソファはいらなくなります。人間が必要とする最低限のものを置いたんですよね。
カヴァリアさんは建築を学び、1971年、カスティリオーニと協働を始める前年に大学を卒業した。卒業論文のメインタイトルは『人間の住処 必要から建築物へ』。工業化された建築プロセスを分析して、住民側が参加する過程とその検証を行ったもので、人に本当に必要なものを見きわめつつ、建物をつくるうえで排除されがちな「住民たち」をその過程に組み入れようとしたのだった。
———そのタイトルを読み返すと、まさに自分のやってきたことだったのに気がついてびっくりしています。まだ、カスティリオーニをよく知らないときに書いていたのですが、どこかで通じるところがあったのでしょうね。