3)デザインという態度
アキッレ・カスティリオーニのスタジオ 3
大いなる好奇心をもって、機能からものの特徴やしくみを観察し、膨大なリサーチを行う。そこで得た成果をもとに実験をくりかえし、必要にして十分なかたちをつくりあげていく。プロダクトも都市計画も基本的に変わりはない。デザイナーという範疇におさまりきらないスケールと奥行きである。
カスティリオーニはデザインについて、このように述べたという。
「デザインとは、一つの専門分野であるというよりは、むしろ人文科学、テクノロジー、政治経済などについての批評能力を個人的に身につけることから来るある態度のことなのです。」(*)
何かをかたちづくることは、デザインのごく一部であって、そこにいたるまでに、広い知見をもって、対象をあらゆる方向からとらえることなしに始まらない。何もないところから創造しているわけではなく、物事の背景を大きな視点をもって緻密に描き出すことができて初めて、一本の線が引けるのだと思う。
カスティリオーニは自らを「プロジェッティスタ」と称していた。彼が仕事を始めた1950年代、60年代のイタリアでは、「デザイン」がまだ一般的ではなくて、一部の当事者たちは、「プロジェッタツィオーネ」という用語を自らの仕事にあてはめていたのだった。
プロジェッタツィオーネについては、この特集の最終回に多木さんに話を聞く予定だが、「プロジェッティスタ」と「プロジェッタツィオーネ」は、それぞれデザイナー、デザインと同義ではない。プロジェッティスタとは、ひとつのプロジェクトにおいて、「各段階で多様な専門家と共同しながらプロジェクト全体を統括する監督のような存在」(多木さん)だという。ものをつくる過程と、その前後をふくめた大きな時空間が、2つの言葉に内包されているようにも思える。
最後にひとつだけ、スタジオでさわったものの話をしておきたい。世界中で使われてきたスイッチ「ロンピトラッタ」(1968年)である。見ためはごくふつうの、なんの変哲もない電気スイッチだ。それがじっさいに操作してみると、使い勝手がとてもいい。角が丸く、エッジは少しだけ斜めになっていて、手になじむ。目視しなくても、手の感触でオンオフができる。こまやかな配慮がみごとに調和しているのだった。
この大ヒット商品がカスティリオーニの作だと知らずに使っている人は、世の中にたくさんいるだろう。むしろ、ほとんど知られていないかもしれない。しかし、カスティリオーニにとって、それは望むところだった。
「私のデザインした作品がどこかのミュージアムに私の名前とともに飾られてあると言うのは嬉しいが、私がデザインしたなどとは知らずに、いやそれこそ、物をデザインするという職業があるなんてことも知らずに、普通の家庭の適切な場所で、昔からあった物のように使ってくれる方がもっと嬉しいね。」(**)
適切な道具によって、人々の生活がより快適になるように。そこに特定の記号は必要ない。デザイナーの名前はもちろん、道具の名前もブランドも。それがカスティリオーニの哲学であり、矜持だと思う。
(*)(**)ともに多木陽介『喪われた創造力へ:ブルーノ・ムナーリ、アキッレ・カスティリオーニ、エンツォ・マーリの言葉』(どく社)より