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アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#137
2024.10

食文化を次代につなぐ 女性たちの、生きる知恵

3 津軽あかつきの会 「あっちゃ」の挑戦 青森県弘前市(津軽地方)
1)あかつきの会と、りんご農園と 第二の故郷で

過去2号でも取り上げたが、材料調達もあかつきの会の大切な活動のひとつ。これまでの津軽の女性たちのようにと、昔ながらのやり方にこだわる彼女たちは、新鮮かつ地元固有の素材を選び、週末のランチタイムにひらかれる「食事会」でお客さんに振る舞う。農家の会員は野菜を持ち寄り、山に詳しい会員は山菜採りをする。ただし、いまや農家は減り、山菜の採れる場所も採る人も少なくなったという。
この日、食事会を終えた「かっちゃ」たちの山菜採りに同行して、会の拠点からほど近い高台にある城址のりんご農園へ向かった。山菜を求め、まだ実の生らない小ぶりな花をつけたりんごの木々の間を進み、農園の端へ。高台から弘前の町を振り返ると、弘南鉄道大鰐線、通称「りんご畑鉄道」が見える。青森でも珍しい、いくつものりんご農園のなかを縫って走る鉄道だ。津軽のなかでもよりりんごと生活が密接なこの場所でりんご農園をやっているのが、「あっちゃ」の永井温子さん。この日は敷地内にある山菜たちの場所を、かっちゃたちに改めてもらうつもりだ。

永井さんは、あかつき会で「あっちゃん」と呼ばれている。あっちゃの、温子(あつこ)さんだ。会のなかでは数少ない30代。山菜探しは一旦かっちゃたちに任せて、話を聞いた。

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永井温子さん

———りんご農園をはじめたのは2021年からです。正直、なし崩しに始まったんです(笑)。元々は地域おこし協力隊として東北に来ていて、「農家を増やす」という課題に取り組んでいました。りんご農園をやるつもりはまったくなかったのですが、活動を重ねているうちに「自分でやってしまおう!」って。気づいたら生産者の側にいました(笑)。

福島県に生まれた永井さんは、大学時代を弘前市で過ごした。弘前はとりわけ思い入れの強い第二の故郷であり、この土地で学生であった頃に東日本大震災を経験したことで、地域に寄与する活動には一層関心もあった。卒業後は首都圏の広告代理店に就職したものの、やはり東北に関わった活動をしたいという思いから2019年に地域おこし協力隊に着任する。

———同じ協力隊のメンバーにあかつきの会の会員がいて、その彼女から声をかけてもらったのをきっかけに会に関わるようになりました。その頃、会ではこれまでに集めたレシピをまとめた本をつくっていて、手伝いに来てくれないか、と。かねてから活動は知っていたのですが、料理を食べるのはそのとき初めてですごく美味しかったことを覚えています。会のことをもっといろいろ知りたいと思っていたら、会長の(工藤)良子さんから「会員になりませんか」って誘っていただいたんです。

2021年、農園を譲り受けた同じ年に、永井さんはあかつきの会へ入会する。奇しくもこの2つの拠点は目と鼻の距離の、同じ弘前・石川地区にある。現在、農園を「ヒビノス林檎園」と名付け、永井さんは農家として働きながらりんごを軸とした事業を展開する「株式会社Ridun」の代表としても活動をしている。「この若さで福島から来てりんご農園をして、その発想と気持ちがすごい」と、かっちゃたちからも一目置かれている。

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ヒビノス林檎園とあかつきの会の拠点の間を走る「りんご畑鉄道」。岩木山を背に、のどかな風景がひろがる / 広大なりんご農園の敷地は山菜の宝庫。かっちゃたちは食事会が終わると、たびたび山菜採りに勤しむ