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アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#137
2024.10

食文化を次代につなぐ 女性たちの、生きる知恵

3 津軽あかつきの会 「あっちゃ」の挑戦 青森県弘前市(津軽地方)
2)ハレの料理を「祝言」で再現する

会に加入した翌年、永井さんは会長の工藤さんから直々に、あかつきの会が仕切って再現する「祝言(しゅうげん)」の話を持ちかけられた。祝言において、花嫁、花婿役を担ってくれないか、というものだ。

祝言とは、昭和30年代頃までは津軽地方で一般的だった自宅婚礼だ。そのとき振る舞われる「祝い膳」は、津軽料理のなかでもっとも華やかなもので、日本海と陸奥湾、白神山地と奥羽山脈に囲まれた地の利をふんだんに活かし、山海の幸を集め「甘さ」と「彩り」で祝う。普段の食卓では、冬を食いつなぐために工夫を凝らし知恵が絞られたが、このときばかりはと津軽の母親たちは、祝言でしか振る舞えない料理のため一層腕によりをかけた。

長いこと、祝言はあかつきの会の会長・工藤さんの念願だった。それは、単に祝い膳の再現にこだわったものではない。工藤さん曰く、祝言とは、家族はじめ親戚も地域全体の人が集まって開かれた温かい行事だったそう。そこでは嫁や婿をはじめ地域全体の人々が、子どもから年寄りまでみんなに年齢や立場に応じた役割があり、祝言をもってして、式や料理の伝統を継承していた。しかし、いまやあかつきの会の会員でも本物の祝言を知っている人は数えるほどしかいない。あの頃の祝言を残したい、こういう時代があったことを、知っている人がいるうちに記録に残したい。祝言の再現プロジェクトは、会において伝承料理と対になるほど、大切な継承活動となった。

———祝言は良子さんにとって前々からの夢で、その思いは聞いていました。良子さんから「祝言のモデルをやってくれないか?」と話されたとき、夫とはまだ籍を入れておらず、時期も決めかねていたのですが、彼も「いいよ」と言ってくれて。別に会としてはそれで構わなかったようなのですが、籍を入れてないのに祝言をあげてもらうのもなって思い直して(笑)。会の1ヶ月前にちゃんと入籍をしました。そして準備から当日まで、良子さんが祝言の音頭を取ってくれました。

2022年9月。工藤さんは半世紀以上ぶりに開かれた地域の祝いごとを、音頭を取って見届けた。永井夫妻にとっては一生の大切な結婚式として「祝言」は開かれた。

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祝言で振る舞われた、津軽のお祝い膳。海の幸、山の幸からなる「彩り」と、当時庶民には貴重だった砂糖を使い「甘さ」で心を込めた料理だ / 工藤さんが音頭をとりながら、昭和30年代の津軽の祝言料理の再現とともに花嫁行列など儀式の一部も再現した(写真提供:津軽あかつきの会、photo:Shintaro Tsushima)

祝言に限らず、かつて津軽の女性たちは冠婚葬祭や田植えなど、ことあるごとに主となる家に集まって、料理をつくり客人をもてなしてきた。それぞれの家に伝えられてきた知恵や工夫を互いに教え合うことで、地域の食はより豊かに、美味しく、磨かれていった。
そうしたとき、あっちゃの大きな役割とは料理の工程とその味を覚えていくことだ。いま、あかつきの会の台所で永井さんは、料理の手ほどきをうけながら優先して逐一の試食の番をする。かっちゃたちに比べると、まだまだやれることはそこまで多くない、味付けについての相談もまだ遠巻きに見ているところがある。だからこそ、会の味を覚えようと意気込む。ときに、あまりにお腹が空いているとただただ「美味しい!」と食べ終わってしまうこともあると苦笑いする。

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ばっちゃ、かっちゃが代わる代わる永井さんに味を教えたり、食材の扱い方を教えたり。どれも明確な基準がなく人によって異なるが、そうしたなかで地域のことや料理のことを複眼的に覚えていく