アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#131
2024.04

山と芸術 未来にわたす「ものがたり」

3 不定形で、伝えつづける 坂本大三郎の生きかた 山形県西川町
3)町議会議員に立候補する

2019年の春。坂本さんは、西川町の町議会議員に立候補した。

———30代は、土着的な土地との関わりのなかで、いろんな仕事をさせてもらって生かしてもらったので、40代はそれをお返しできたらいいなと思って。何とかできないだろうかと。

行政が伝統的な文化を残していくことに動かないのであれば、自分が行政の側に立つ。そうすれば、現状を変えるきっかけを作れるかもしれない。坂本さんはそう考えた。
西川町は人口が5,000人に満たない。そのうち、65歳以上の高齢化率は45.7%()。全国平均の29.1%を大きく上回っている()。町議会議員は定数10人で、立候補者は12人だったが、40代の坂本さん以外は60、70代。ちなみに、当時の現職議員もすべて60、70代だった。

———本当にお年寄りがすごく多い地域。お年寄りがいることによって古いものが残っているっていう側面もあるんですけど。僕が選挙に出たときは、65歳ぐらいの人が「若い力で頑張ります!」と言って、選挙カーで走っていたんです。

当時、山形に定住して6年ほど。はじめは山に残された自然のなかで生きるための知恵と技術を学ぼうと、山深い肘折(ひじおり)の湯治宿の屋根裏部屋に居候し、店を始める前に山形市内、そして西川町へと移り住んだ。代々この土地で暮らす人々にとって、坂本さんはまだまだ「よそ者の若者」である。そのことを承知の上で、あえて行動に出たのだった。
坂本さんの立候補は突拍子もなく見えたかもしれないが、そうではない。まちの文化や人々の生活に対する日頃の思いがあっての行動だ。立候補に際して、坂本さんはSNSでも発信を行った。

「……西川町や月山周辺の集落にはそうした貴重な技術や文化がたくさん残されています。これまで取材で韓国や中国やその他の地域を訪れ、それらの地域と比較してみても、これだけ古い文化が残っている地域はとても少なく貴重です。
自分はそうした古い由来を持つ文化を人類の貴重な遺産だと考えています。そうした遺産を受け継ぐには人がいなければならず、人がいるためには経済面も含めて生活のしやすさが必要です。僕はそうした遺産をなんとしても残したいと思っています。」
(2019年4月3日のTwitterより抜粋)

西川町に住むようになって以来、山で厳しい暮らしを送りながら、続いてきた文化を伝えていこうとする人々の姿を間近に見てきた。選挙への出馬は、坂本さんなりにまちの未来を考えた道筋でもあった。

———残すべきものをどうやって残していけるんだろう。残すべきというのも、僕がそう思っているだけだから、どこまで普遍性を持てるかなという問いは常に突きつけられるんですが。古いしがらみの地域なんで、なかなかよそ者が「自分やります」って言って、認めてはもらえないところもあるけど。何か変わってくれたらいいなって。

短期間で準備して、初めての選挙を戦った。まったくの素人で、手探りの連続だったが、直感的に動き、自分で創意工夫を重ねる坂本さんにとって、これもまた修行の一環だったのかもしれない。とはいえ、政治だ。想像をはるかに超える困難があったことだろう。

そして、選挙の壁は厚かった。残念ながら、坂本さんは議員にはなれなかった。
しかし、保守的な地域で、あえて一石を投じようとした坂本さんの行動は、勇気ある、大きな一歩だったのではないだろうか。
坂本さんは、今回、行動を起こしたことが次につながっていくことを願っている。

———自分のときはだめだったけど、違うときに、それを突き抜けるような物事であったり、人が出てくればいいな、と。
それと、立候補して感じたのが「地域のために」みたいな自分の言葉がだんだん薄っぺらい、きれいごとのようにも思えてきて、自分は本当にそんな他人のために何かをできる人間なんだろうかと自問自答しました。結局、自分は脈々と続いてきた生活が残る地域が好きで、そんな自分が好きなものを他の人たちにも好きになってもらいたいっていう、他人と自分の願望が重なるところを探していたのかもしれません。社会と関わるときに生まれてくる嘘くさい自分に縛られてしまわないように気をつけないといけないなと、そんなことも強く思ったことでした。

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2019年4月の選挙期間中は、雪が残るなか、広大な西川町を車でまわって点在する集落に出向き、説明会を開催した。そこには、坂本さんの話に耳を傾けてくれる人も少なからずいた。それはこれからの希望でもある。