4)音と感情 本当に「ビリビリ」か 高校での授業1
教室で授業の開始を待っていると、早めに入ってきたひとりの生徒が、夏休みの短期留学の感想を瀬戸さんに話しはじめた。瀬戸さんは土佐町の頃から、日本の高校生の海外進学の相談にも乗っている。机に腰掛けながら、生徒と談笑する瀬戸さん。そういえば、車の中で「僕、教壇って嫌いなんですよ」と言っていた。
———一段高いところに先生が上るっていうのは、教える側と教わる側では視座が違うんだって物理的に思わせる設計。僕はそれが嫌で教壇には上らないんですけど、そうすると机に腰掛けるのがちょうどよくて。高知にいるときには、「机に腰掛けないでください」って先生たちにめっちゃ怒られましたね。「だめですか?これ机って呼んでいるから机ですけど、椅子に見立ててもいいんじゃないでしょうか。それぐらい解釈の幅があってもいいんじゃないですか?」とか言って、もっと怒られる(笑)。
授業は、グランドルールの確認から始まった。瀬戸さんがどんな場の設定のときでも使う「4つの原則」。それは、「ひとりひとりに権利があります」「わたしの自由を大事に」「あなたの自由を大事に」「わたしたちの自由を大事に」というもの。
———まずは、自分がどう思うかをいちばん大事にしてください。相手の意見を認められるか認められないかというよりは、「その意見好き」「その意見嫌い」と自分の心の内が感じていることを大事にしてください。
でも「嫌い」って、そのまんまぶつけられたらショックだよね。それは相手の自由に対する侵害になりかねない。心のなかで思う自由と、表現する自由っていうのは必ずしも重ならないということを心に留めておいてください。
そして、一人ひとり違う人たちが環境にいるなかで、それぞれの自由と同じように、わたしたちの自由を大切にしてほしいなと思います。みんなが同じ考えになりましょうとか同じようなことを言えるようになりましょうとか、そういうことではなくて、自分自身がどう違うのかを観察を通じて実感してほしい。だからこそまず、自分が言うことや表現することが他の人と違っても、不安にならないでほしい。表現することで、自分がどう違うのかっていうのが分かります。
次に、今日のテーマについて。それまでの授業では「意味」の方に注目してきたが、今日を含めた残りの7回の授業では「音と感情」に注目していく。
———オノマトペって聞いたことあるでしょ。自然界の音とか声、状態や動きを音で象徴的に表した語のことで、僕らの身の回りにとてもたくさんあります。たとえば、紙を破る音は「ビリッ」とか「ビリビリ」って言うよね。そして、同じ「ビリビリ」でも、このフォントで書くと真面目な感じ、こっちのフォントだとちょっとふざけているというか子どもっぽい。カタカナかひらがなかでも感じる印象は違ってくる。
……と、ここまで言っておいてなんなんだけど、紙を破る音って本当に「ビリビリ」なんだろうか? ちょっと目をつぶってよく聞いてみて。
瀬戸さんが真っ白な紙を手に取り、いろいろな手つきで破っていく。素早く裂くように細長く、ゆっくりと小さく、両端を持って引っ張るように。その音に、じっくりと聞き入る生徒たち。中には、音を聞き逃すまいと耳に手を添える生徒も。そして次に、生徒にも数枚ずつ紙が配られた。
———自分でも破ってみながら、その音を文字で書いてみてほしい。本当に「ビリビリ」で表現できる音なのか。考える観点としては、「この音のなかに本当にハ行の音は入っているんだろうか? ラ行の音は入っているんだろうか?」、そういうことを考えてほしい。書いてみてください。本当に正解の「せ」の字もないから。もしかしたら五十音じゃ足りないかもしれない。そのときは自分で新しい文字をつくってください。「か」に半濁音の丸がついているとかでもいいし。
生徒たちは、自分の手でいろいろな方法で紙を破きながら耳を澄ませ、しばらく悩んだあと、思い思いに文字で表現し始めた。真っ白な紙の上に、「ビリビリ」では表せない、それぞれが感じたままの音が並ぶ。
———よく聞いたら「ビリビリ」じゃないんだけど、僕らは「ビリビリ」ってことにしちゃっているということ。子育てをしていても、小さい子どもに先に言っちゃうわけ。「パチパチ」とか「ジャー」とか。これって実は彼らが世界をまっさらに観察する機会を奪っているんだよね。「水は『ジャー』って言うけど、『ジャー』って感じじゃないよな」って思う機会がなくなってしまう。紙の破り方によって、それに紐づくスピード感とか感情とかも違ったよね。そういうところの深さを考え、感じてほしい。