5)実体を伴う、底力のある祭りに
大わらじ奉納の後、齋藤さんの車で信夫山を下りる。途中の第2展望台では、福島市内を見わたせた。
阿武隈山系の稜線がなだらかに連なり、福島市は山々に囲まれた大きな盆地であることを体感する。昔はこの盆地が湖で、信夫山は湖面に顔を出す島だったという言い伝えがある。「わらじ物語」もそこに題材をとった。
———実際、このあたりは湖だったようですが、恐竜がいた時代の、はるか昔の話ですよ。実際、この下はアンモナイトなどの化石が出ますが。
いくつもの「よくわからない」「そうだったかもしれない」が寄り集まった混沌から、わらじまつりは始まった。しかし、今は違う。「わらじ物語」という土台の上に、祭りはこれから、新しく歴史を重ねていける。
現実問題として、わらじを履いて歩きたくても、アスファルトの上では滑るし、藁が切れる。「わらのわ」からは藁が抜け落ち、大量の藁が散らばってしまう。昔のままではそぐわないこともたくさんあるが、今の時代に合うかたちで取り入れればいい。わらじは地下足袋やスニーカーに、「わらのわ」の藁はロープに。ただし、時代に迎合するのではなく、最も的確と思うことを見きわめながら。
———危険なこと、えこひいきでなければ、何をやってもいいと思っているんです。小ぶりのわらじを担ぐ「わらじパレード」なんかも、最初は飾ってただけだったんですよ。そこに小さな子どもが近寄ってきたので、警備員の方と「担いでみる?」「いいんですか?」「いいのいいの」というやりとりがあった。それを発端に、子どもの担ぎ体験教室ができたんです。
わらじを担ぐということも百年続けば、けっこうな数の子どもが担いだことになる。中には、その体験を入り口に、祭りに熱心に参加を始める子どもも出てくるかもしれない。
同じように、学校で踊りを習ったり、公民館で太鼓を叩くなど、人々が祭りにふれる機会があればあるほど、そしてその場に創造性があればあるほど、祭りは進化していけるのではないだろうか。
目先の集客などにとらわれすぎず、底力のある、ひらかれた祭りに向かって。それはまた、大友さんが言う福島の「文化的な復興」に他ならない。
「野菜や果物がおいしい」だけでなく、「魅力的な祭りのある」福島へ。
見えにくかった庶民の文化を可視化して、「美しい」「元気」などというイメージに頼らず、実体を伴う文化を育てていくこと。わらじ物語に出てくる農民のように、みんなで、できることから始めていけば、それは十分可能なはずだ。
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わらじ音頭
作曲 古関裕而 作詞 茂木宏哉 補詞 丘灯至夫
プロデュース 編曲 大友良英
リズム編曲 芳垣安洋
唄 橋本大輝 會澤あゆみ
太鼓 鳴物 芳垣安洋 鳴物師秀 井上公平 戸塚真吾 遠藤元気 相川瞳
笛 山田路子
法螺貝 佐藤秀徳
わっしょいの掛け声 わらじまつり実行委員会のみなさん、わらじまつり改革チームのみなさん、演奏唄参加のみなさん
プロデュース補 富山明子(プロジェクトFUKUSHIMA!)
録音 ミックス 中村茂樹
2019年3月~4月 ハートビートスタジオ、GRID301スタジオ
https://www.waraji.co.jp/
編集者、文筆家。出版社勤務の後、ロンドン滞在を経て2000年から京都在住。書籍や冊子の編集・執筆を中心に、それらに関連した展示やイベントも手がける。文章表現や編集などのワークショップ、展覧会等を行う「月ノ座」主宰。最新刊に編著書『辻村史朗』(imura art + books)。主な著書に『京都でみつける骨董小もの』(河出書房新社)『京都の市で遊ぶ』(平凡社)、共著書に『住み直す』(文藝春秋)『京都を包む紙』(アノニマ・スタジオ)、編著書に『標本の本——京都大学総合博物館の収蔵室から』(青幻舎)、構成・文『ありのまま』(著・梶田新章、リトルモア)など多数。2012年から2020年まで京都造形芸術大学専任講師・准教授。
1980年生まれ。写真家。『スカイフィッシュ』(2010)、『津波、写真、それから』(2014)、『石をつむ』(2015)、『Birds on the Heads / Bodies in the Dark』(2016)。2010年、AKAAKAにて個展「スカイフィッシュ」を開催。2002年、「キヤノン写真新世紀」優秀賞を写真ユニットSABAにて受賞。2008年、「littlemoreBCCKS第1回写真集公募展」リトルモア賞受賞。