4)日常に浸み出て、景色を生みだす
福島わらじまつり実行委員会座組局長の齋藤嘉紀さんは、すべての行事を終えて、少しほっとしたような表情を浮かべていた。その一方で、すでにこれからに思いを馳せている。
———実行委員会もそうだし、外の方からも「改革してよかったね」って言われています。外に遠征に行っても「わらじまつり、すごく変わったよね。面白いね」と。
実際、これからの祭りです。本当に良かったら、参加者が増えていくと思うんです。昨日のわらじおどりパレードだって、ある意味初めてやっているようなものなんですよね。これをどうやって広めていくか、当日参加した人、見ている人にどうやって楽しんでもらうかは、今後試行錯誤していく部分かなと思います。大友さんが基礎をつくり上げて、方向を示してくれたので、それをつないでいくのは我々と後輩たちです。それが積み重なっていけば、歴史になっていくでしょうし。そういう意識を持っています。
最優先事項は裾野を広げていくこと。本来は輪踊りで、コロナ以前は1日で3000人近く踊っていたんです。今年は2日間でその半数くらいでしたから。これからはもっと、いろんな人に来てもらいたいですね。
大友さんは全体を見て、大きな視座を示す役割を果たした。齋藤さんたちはそれを受けとめ、実行する立場で、現実と向き合い、運営側と市民の間に立っている。
現実的なことでいえば、大改革に対して、市民すべてが好意的だったわけではない。これまで参加していたが様子見にまわった人たちもいた。新しい踊りで自由度がなくなると心配していたようだが、ふたを開けてみたら、踊りのアレンジもヴァリエーションがあって、実際はかなり柔軟だった。そうして「誰もが楽しめる」祭りであることを各方向から示し、参加しやすいかたちを整えていくのが齋藤さんたちだ。
———コロナ禍の3年間、学校に行ってわらじ踊りを教えたりもしていました。小学校の社会科の授業だと、自分の地域のことを勉強する単元があるじゃないですか。その授業などで依頼があれば、わらじまつりの歴史とわらじ踊りを教える、というものです。(踊りを取り仕切る)舞座組が行っています。
授業はやはり大切だと思うんです。毎週はできなくても、教えにいく学校の数が増え、授業が積み重なっていけば祭りの盛り上がりにつながってくるだろうし。今は踊る団体が企業体やダンススタジオになっていますけど、小学校とか町内規模で参加してもらえるようになればいいと思っています。
もうひとつ、わらじ音頭をもっと広めたいです。福島は各地で盆踊りをやるんですが、その時にかかるのは、わらじ音頭とは別の曲なんです。それがわらじ音頭になってくれれば嬉しいな、と。
わらじまつりって当日は盛り上がりますが、前日や前々日は、まちなかはふだんと変わらないんですよ。私は仕事柄いろんなところに行くんですけど、たとえば盛岡に行くと、(祭りの前に)さんさの太鼓を練習する音がいろんなところから聞こえてくるんです。そういうふうにしたい気持ちはありますね。
踊りと、音頭と。わらじまつりがもっと日常に浸み出ていくこと、まちにわらじまつりのある景色をつくりだすこと。齋藤さんたちはそれを願い、できることから試みている。