今回と次回の2回にわたって、福島県福島市の「福島わらじまつり」(以下、わらじまつり)を取り上げる。
わらじまつりが始まったのは1970年。全長12mの「大わらじ」をシンボルに、古関裕而が作曲した「わらじ音頭」で創作ダンスを踊るなど、イベントを繰り広げる夏フェス的な祭りだった。
2019年、その祭りは50回の節目に改革された。市民が中心となって楽しむイベント的な祭りから、福島市を代表する「祭りらしい祭り」へ、大胆な方向転換を行った。
わらじまつりが行われている福島市は、東日本大震災の被災地である。その地で、祭りはどうあるべきか、祭りの改革は震災後の文化的な復興の試みともいえる。
それはまた、各地における祭りの現在や意味にもつながる話でもある。数百年以上続く、伝統的な祭りは日本各地にいくつもあるが、その一方で、夏フェスに代表される野外の音楽イベントなども祭りと呼ばれたりする。
わらじまつりの改革を引き受け、根底から変えたのは音楽家の大友良英さんだ。大友さんはノイズ音楽を始め、インディペンデントに多種多様な作品を発表し、いくつものバンドを率いてライブやコンサート活動を行っている。その一方で、NHKドラマ『あまちゃん』『いだてん』の音楽など、メジャーな仕事も数多く手がける。また、2017年には札幌国際芸術祭のディレクターを務めるなど、プロデューサーとしても活躍してきた。
十代を福島市で過ごした大友さんは、東日本大震災が起こってからは、福島に深くかかわっている。震災直後にパンクロッカーの遠藤ミチロウさん、詩人の和合亮一さんとともに〈プロジェクトFUKUSHIMA!〉を立ち上げ、文化によって福島を再生しようと動いてきた。
福島県内外の有志とともに始めたオルタナティブな〈プロジェクトFUKUSHIMA!〉と、福島市を代表する「わらじまつり」。ともに祭りとはいえ、まったくの別物だが、わらじまつりを手がけるにあたって、大友さんの考えははっきりしていた。
2019年に新生した後、コロナ禍によってわらじまつりには3年間の空白が生まれた。2022年は19年の改革後、大友さんの手を離れて初の全面的な開催となった。今回は大友さんの話を中心に、祭りの軌跡を見ていきたい。