1)まちを将来世代につなぐために、循環の仕組みをつくる
徳島駅から車で40分ほど、山あいの小さなまち・神山町に着く。鮎喰川に沿って集落がぶどうの房のように点在し、杉やヒノキを植林した濃緑の山々の裾を、石積みに支えられた小さな段畑が彩る。田植えがはじまるとあちこちの水路から水の音が響き、夏には川で泳ぐ子どもたちの声が聞こえる。
このまちが、 “まちづくりの成功事例”として全国的な注目を集めるようになってもう久しい。
国内外のアーティストの滞在制作を支援する「神山アーティスト・イン・レジデンス」がはじまったのは1999年、もう20年以上前だ。2004年には光ファイバー網が町域をカバーし、企業のサテライトオフィスの呼び水にもなった。これらの取り組みを仕掛けたのは、まちの人たちが設立したNPO法人グリーンバレー。大南信也さんら理事たちは、何かをはじめようとする人たちに「やったらええんちゃう(Just Do it!)」と背中を押し、手助けを惜しまなかった。彼らの気風に惹かれて移住する人は増え、2011年度は神山町誕生(1955年)以来、初めて社会動態人口が増加に転じるという“奇跡”も起きた。
しかし、人口減が止まったわけではない。アネモメトリで2013年に取材した時(#2、#3)と比べても6088人から4943人(2022年度5月1日現在)に。町の主産業である農林業は、若い世代の町外流出によって後継者が不足している。担い手の高齢化は進み、やがて耕作放棄地が増えていく。
「まちを将来世代につなぐにはどうしたらいいだろう?」
2015年、地方創生の流れのなかで、神山町は「働き盛りで、かつ将来世代に近い子育て年齢前後の人々」約30名によるワーキンググループをつくり、約半年をかけて創生戦略の策定作業を行った。2016年春、ワーキンググループの議論は、「まちを将来世代につなぐプロジェクト(以下、つなプロ)」としてまとめられた。
つなプロからは、官民共同の事業がいくつも立ち上がったが、フードハブもそのひとつ。「循環の仕組みづくり」の実行プランとして、神山町役場、神山つなぐ公社、株式会社モノサスが共同して立ち上げた。