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アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#107
2022.04

子どもが育つ、大人も育つ

5 子どもと大人と、みんなで学び合うために 京都市・にわにわ(後編)
2)「ポジティブな敗北」で、大人が変わる

にわにわのウェブサイトには次のように書かれている。

現在の私たちの周りにある学びは残念ながら分断されている様に見受けられます。子供だけではありません、大人達もその分断の中で生きています。その事が、子供達の未来の可能性を狭めているのです

小山田さんがにわにわをつくろうと考えた理由のひとつだといえよう。分断が社会全体のものだとすれば、まず問われるのは大人の側のあり方だ。子どもたちが変わるためには、大人も変わることが必要である。しかし、変わるのが難しいのはむしろ大人の方なんです、と小山田さんは言う。

———にわにわの活動には、できるだけ親御さんにも参加してもらって、子どもたちが持っている力に気づいてもらいたいって思っています。子どもたちは時にすごい発見をしたり、発想力を見せたりします。そういうのを見て、親御さんには「敗北」してほしい。子どもに負けた、って感じてほしい。負けるっていうことは素晴らしさを認めることです。親にとっては喜ばしいことなんです。そして、「自分は子どもの感覚に負けているかもしれない」って思うことが、自身が変わるきっかけにもなる。

小山田さんがそう言うのは、いま、大人たちに、負けるという経験が少なくなっているからだ。いまは技術の力で、日常のさまざまなことが思うようにできてしまう。天候の予測も時間の管理も、何かについて知ることも、かつてとは次元の違う簡単さになった。日々生きるなかで、思うようにできなくて困るということが格段に減った。つまり、「負ける」ことがない。それが私たちの驕(おご)りにつながっている面は確実にあるだろう。また、負ける経験が少なくなったのは、大人たちもまた、多様な人と出会わなくなったということなのかもしれない。

———たとえば、ろう者のグループのなかに入ったとします。すると、みなが手話などでコミュニケーションをとるなかで自分だけ置いてけぼりになる。それはある種の敗北です。そういった経験を、おそらくいま、多くの大人はすることがない。でも必要なんです。そしてその敗北をよきものとして、「ポジティブな敗北」として捉えてほしい。そういう意識を持って子どもたちと接すると、子どもたちのさまざまな特徴もそのまま受け入れることができるようになります。欠落とか欠損とかではなくて、特徴として捉える視線で付き合っていける。そのためには大人のほうこそ、学ぶこと、負けることが大切です。自然に負けて、人生の先輩に負けて、子どもにも負ける。そういう経験をした大人のほうがちゃんと成長しているような気がするんですよね。

小山田さんの場づくりには、「避難場所」をつくるという意味もある。それぞれの時代ごとに、ある種の固まった価値観がある。そしてそれは、時に人を置き去りにする。その流れに入れない人も、入りたくない人もいるからだ。小山田さんがこれまでつくってきた場は、そうした人たちにとっての避難場所という意味も持っていた。

———歴史を振り返ると、各時代において、「避難場所」が次なる変化への起爆剤になるということが繰り返されてきました。ただ、避難場所は、常に時代に合わせてつくり直されていく必要があります。だから新しいものをどんどんつくっていったらいいし、にわにわも、子どもたちにとって、学びの場であると同時に避難場所であれればって思っています。たとえば子どもがふらっと訪れたら、誰でもご飯を食べられるような場所。究極的にはそんな場にできたらっていう思いがあります。でもその一方、「ここは避難場所です」と掲げると、人は避難しにくくなる。そのために、くもん教室を入り口とするような「擬態」や、「弱目的性」ということを意識することが意味を持ってくるんですね。

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滋賀県立美術館リニューアルオープンのプレ企画として行った「巡礼ごっこ」。周辺の自然公園のなかで、木の実などを捧げながら拝む場所をつくった / 「図鑑を作ろう」(パーラー公民館、沖縄)のようす。小山田さんの企画は、身近な自然環境をフィールドに、発見することを大切にしている。「葉っぱ1枚でどれだけ遊べることか。小石が1つあれば蹴り合いもできるし」(写真提供:小山田徹)