3)立場を曖昧にして、分断をゆるめる
小山田さん自身、ずっと避難場所を必要としてきた人なのだろう。社会の大きな流れに対して違和感を持ち、権威や権力とは反対の立場に身を置きたいと考えてきた。それゆえに、それぞれの個のなかにあるそれぞれのあり方を尊重し、目を配るという意識を強めてきた。そしてそれを彼は、場をつくるなかで実践してきた。参加者みなが対等な関係を保ち、共同で場をつくる、というあり方にこだわることで。
———ワークショップのような場では、多くの場合、企画者と参加者がきっちり分かれていますよね。参加者は手ぶらで参加して、ある程度の成果物をつくって、お土産付きで帰る。そういう場ではみなそれなりの満足度は得られたとしても、参加者はお客さんのまま、主催者は主催者のままで、ある意味、分断したままなんです。でも、たとえば学校の部活などのように、子どもも親もいろんな作業をしないといけない場であれば、お互いのコミュニケーションが生まれます。「モップがけは誰がやんねん」とか「モップのかけ方間違ってるやん」とか。そういうコミュニケーションこそ、僕にとっては大事です。立場が曖昧になり、分断がゆるまる。そしてそこにこそ思わぬ気づきやつながりが生じるし、そうやって面白い場がつくられていくんだと思うんです。
参加者はお客さんのまま、主催者は主催者のまま、の方が効率的だし、責任の所在もはっきりするからやりやすい。資本主義的に考えたらその方が適切だといえるのかもしれない。でもあらゆる場や仕事がそのようになってしまった結果、社会が、分断され、偶然性が失われ、面白くなくなった。小山田さんはそう話す。
———そのようなあり方に違和感を覚えている人は、たくさんいると思います。場をつくるとき、「お客さんも皿洗いができるよ」とか「素人でも一緒に空間をつくれるよ」って言うと喜んで来てくれる人がたくさんいます。そして、気がついたらスタッフになっていた、なんてこともある場こそ、僕はいま必要なんじゃないかなと思うんです。
にわにわ、そしてその入り口ともいえるくもん教室は、まさにそのような場になっているようだ。
———くもん教室の主任は妻の美穂子で、お母さんアルバイトが2名ほどに、あとは大学生のアルバイトがいます。大学生は卒業していくから入れ替わりも多いけど、その子らもだいぶ成長していくので、そばで見ていてすごく面白いんです。バイト代は最低料金やから申し訳ないけど、その代わりっていうか、食料を持って帰ってもらったりしてます。コロナじゃなかったらみんなでご飯を食べたいし、そういう時間が一番大事だと思っています。そのときに、将来のこととか、いろんな話をするんです。そして応援できるところは応援して、こっちの意思も伝えられる。早くまたそういうことをやりたいです。
小山田さんの話を聞いていると、くもん教室がくもん教室には思えなくなる。いろんな立場の人がともに教育に携わり、場をつくっていく。同時にみなが育っていく。それこそがまさに、小山田さんのつくる場のあり方である。そしていま、そうした場を必要としている人が確かにいる。そうした場こそ、いまこの社会に必要なのではないかと思わされる。