2)「擬態」によって場を広げる
小山田さんがこのような場をつくろうと考えたのはなぜなのか。それは小山田さんのこれまでの活動を振り返ると見えてくるように思う。美術家としての長年の活動のなかで、小山田さんが最も力を注いできたことのひとつが、さまざまな「場」をつくることなのだ。
京都市立芸術大学に在学中だった80年代には、マルチメディアを使ったパフォーマンスを行うアーティスト・グループ「ダムタイプ」を仲間とともに結成した。その後、ダムタイプの活動の拠点であり、かつ他のさまざまな活動にもひらかれた場として「アートスケープ」を立ち上げる。90年代には、2週間に1回オールナイトで開催した「ウィークエンドカフェ」、そして、現在も続くコミュニティカフェ「バザールカフェ」 をひらくなどした。
そのように以前は、アーティストとして場をつくることを試みてきた。しかし、10年ほど前に大学の教員になり、また、自身が親として子を育てる立場になって、徐々に意識が教育や子どもへと向かったという。
———自分が子どもを持ってみてやはり視点が変わりました。それまでも、未来をつくり出す子どもたちへの意識を持たなきゃいけないっていうのは、理念としてはわかっていたけれど、リアルな感覚としては正直なかった。でも親として子どものことを考えるようになって、いろんなものがつながってきたんです。美術はなんのためにあるのかという答えも、その辺にありそうだなって気づかされました。
実際ににわにわを立ち上げるにあたっては、くもん教室という場が先にあったことが少なからぬ意味を持った。くもんという入り口があることで、さまざまな人が出入りしやすくなるというのだ。
———「こういう活動をやっています」と、目的を明確に掲げて人を集めると、良くも悪くも、その目的に合致する人だけに対象が絞られるという面があります。でも、にわにわは、はっきりとした目的をもたずとも、なんとなくいろんな人が参加できる場にしたかった。歴史学者の藤原辰史さんのいう「弱目的性」です。それを強みにできるなと思いました。
そこで、くもん教室にやってくる子たちに、「今日はみんなで散歩に行くで!」という感じで声をかけたりする形で活動を始めました。それまで僕のやっているような活動にくる子どもは、親がアートにかかわっていたりすることが多かったのですが、このように声をかけると、そうではない子にも来てもらえる可能性が広がるんです。あと、くもんという看板があることで、その他の活動に対しても親御さんたちが安心して子どもを預けてくれるということもあります。散歩の企画を立ててもくもん教室の延長やと思ってもらえる。そういう意味では、くもん教室は「擬態」って言えるかもしれないですね。
もともと小山田さんの美術家としての活動とは接点を持っていなかった子どもや保護者が、くもん教室での小山田さんの声かけをきっかけに、週末の散歩に出かける。必ずしも明確な目的を持つわけではなく、おそらくその時々の流れによって。そうした偶然性も含んだ人と人のつながりをもとに、にわにわという場は、形づくられていっているのだ。