酷暑が続いている。 もしコロナ禍がなかったとしてオリンピックが開催されていたら、更に熱くなっていたことだろう。ともあれ暑い。何もやる気が起きない。 しかし、忘れていた頃にコラムの順番がやってくる。 あぁ何かないものか、まず酷暑の記録でも見てみようと史料を捲ってみた。 そうすると次のような記事に出会った。 鎌倉時代の天福元年(1233)6月23日、京都に住む公家の勘解由小路経光の日記である。
天晴、不出仕、所休息也、炎旱已甚、天災之条、可恐事歟、納言殿無御出行、予今日聊属休暇、
仍愚篇所綴也、涼風忽可来日也、而炎暑殊以甚、仍心神弥以不快、凡無術也、為之如何、
天福元年の夏は酷暑が続いたようで、6月に何度か「炎暑」と記されている。 炎暑が甚だしく心神も不快でなすすべがないという。 ちなみにこの日は立秋であった。いまも昔も立秋の頃まで暑さが続いたということだろう。
さて、こうした炎暑や、また新型コロナウイルスのような疫病などについて歴史を調べようとすると、遡ればのぼるほど都市部の記録(日記)が主となる。 記録を日々遺しているのが、為政者層などに限られるためである。 現代のようにスマートフォンを開けば直ぐにインターネットで世界と繋がり、SNSで情報を発信したり知ることができるのは鎌倉時代の人からすると夢物語だった、いや夢にも思わなかっただろう。
中世の人々にとって炎暑も、また疫病も「凡無術」ことだったろう。 そのため神仏に祈ることはあっても、例えば都市環境の整備をするといったことはあまりなかった。withコロナの情報多寡の中で人々の暮らしぶりが変わるかも知れない「今」とは大きな異差といえよう。 テレビでもYouTubeなどのインターネットでも罹患者数の推移や対策といった病理的な解説が溢れている。それらも大切なのは重々承知しているものの今年の1月くらいから続いているためか、さすがに疲れる。
そうした新型コロナウイルスの感染拡大が進む5月、映像作家であり友人の岩本健太さんから「都市」について話をして欲しいと依頼を受けた。 歴史事象として疾病が拡大されたとき、都市はどのような対応をしたのかというオーダーである。 病理的な解説が溢れている中、あえて都市を考えるという興味深いテーマだったのでお引き受けし「都市と疫病」といったいった視点で思いつくままに話をさせてもらった。
歴史から鑑みるに、日本において疫病が都市計画に影響を及ぼした例は少ない。今回、特効薬が発明されるかは分からないものの、もし発明されずwithコロナの生活が永らく続くのであれば、都市計画や生活様式に影響を及ぼす初めての事例になるだろう。 ただこれまでのパンデミックの歴史を見るとおおよそ3年で終熄する。それを考えると本当に影響を及ぼすのか否か。我々は大きな歴史の局面を、まさにリアルタイムで目の当たりにしている、のかも知れない。
「TOTAL RECALL」と題された岩本さんの企画は、社会学や土木、建築、ランドスケープ、広場、ストリートなど多岐にわたるジャンルの研究者が登場し、「都市とは何か」を語っている。自分以外のインタビューを見ながら都市に限らず、「空間」や「コミュニティ」を、どう捉え直すかという議論がなされていると思った。 良ければご高覧下さい。