アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

空を描く 週変わりコラム、リレーコラム

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#325

みかえる、みおくる
― 上村 博

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ひとの住む町には色も匂いもついてくる。それには何百年という時間が必要なわけでもなく、数世代もあれば、いや数年もあれば良い。人の暮らすところ、自然と特有の町のたたずまい、雰囲気はできあがる。それはそこに棲息する人々の体臭や生活臭であろうし、またその土地の歴史のもたらす色合いでもあろう。繁華な賑わいの商店街、しっとり落ち着いた屋敷町、古びたコンクリートの集合社宅など、それぞれに時間の堆積が滲み出ている。個々の建築物の形や街並みの景観だけでなく、壁に、屋根に、電柱に、看板に、道路に、側溝に染み付いた色は、全体として町に独特の風合いをもたらしている。
しかし、実のところ、生活は忙しい。普通は町の風景なぞ見る暇がない。町の様子をしみじみと見つめることができるには、タイミングを要する。たとえば秋の朝、空気が透き通って視力がいきなり増したかのようなとき。また逆に霧が立ちこめ、物の輪郭が定かでないとき。あるいは夜明け前のひっそり静まる街路。非日常的な気象や時間帯が町に対する距離感をもたらしてくれる。この距離感は傍観者のそれである。心のうちに町を対象化して眺めるという態度は、生活者のそれとは少し違う。
こうした対象化は、画像や言葉によって媒介されることで容易になる。小説や映画に住み慣れた町が登場したり、写真や絵画で見知った場所が描写されるなどの人工的な再現によって、生活の空間が眺められる空間に替わる。またこれは芸術的な達成度がとりたてて高くなくても可能である。あまりに拙劣な描写なら、眺めよりもその下手さ加減が目についてしまうかもしれないが、何気なく写したスマホの画像でも、観光ガイドの紹介記事でも、何らかの媒体で町が描写されるなら、もうすでに眺められる空間が出現している。
しかし、町の風景は芸術的(人工的)な操作が媒介することで審美的に眺められるようになるというだけなのだろうか。通常の利害関心を離れて物を見つめることで審美的な態度に入る、ということは、たしかにある程度、町の風景についても当てはまるだろう。しかし、町の眺めには別のものも加わってくるのではないか。とりわけ、そこに暮らす人間にとってはそうである。日々の起居のうちに交々生じる愛憎や悲喜の感情がまとわりついている。街頭で仰ぐ青い空に、軒先から落ちる雨の滴に、路地の奥の暗がりに、住人の思いの屈曲がそれぞれに彩りを加えるだろう。それらは、やがて時を経たのち、身を切るような強さは薄れても、それだけにかえって記憶の襞に沈潜した情動として、町のそこここに独特の調子をもたらす。住民ならずとも、通りすがりの人間であってもそうかもしれない。家々からこぼれる聞こえる夕餉の物音、夜の高層マンションで部屋ごとに点る窓の灯りも、その傍らを通り過ぎる者に、それぞれの家庭のありようを思い描かせる。それは単に審美的な景観を見つめているのではなく、他人の生活の情景を自分の記憶を交えつつ感知しているのである。

こうした生活感や、さらには生活臭を伴うような町の体験は、自律的な作品をモデルにした芸術とはちょっと相性が悪い。近代美学のスタンダードな建前では、思い入れたっぷりの感受性は、作品そのものに不純なものを持ち込んでしまうと見なされる。作品の良し悪しと、個人の感傷や気持ちの高ぶりとは別なのだ。造形芸術でも上演芸術でも、一個の独立した作品を鑑賞しようとするなら、ひたすらその作品のありようを集中して知覚することが求められる。しかし、ギャラリー空間でのみ芸術が生きているわけではない。また作品の中に組み込まれた形式の知覚経験を目指してのみ作家が活動しているわけではない。とりわけ文学や写真といったジャンルは作品の外に向かおうとする。受容者は作品自体を離れて、時に自分や他人の過去に遊ぶだろうし、作品によって示唆された事態の顛末に注意するかもしれない。そしてそれは、造形作家にも可能である。
現在(2020年1月末)、京都の旧崇仁小学校の校庭に巨大な顔を持つハリボテが立っている。造形作家の伊達伸明さんらによる「ミカエル君」である。京都の他の学校区と同様、崇仁小学校の校区に住んできた住民は学校に愛着と拠り所を感じているし、さらに同和教育の運動と関係してきた崇仁小学校は、昭和初期までこの地の皮革産業を支えた柳原銀行の建物と並び、土地の記憶を強く喚起する象徴的な存在である。しかし、崇仁小学校にはもはや児童はいないし、その校区の多くは再開発が予定されていて、フェンスに囲われている。そこで、この地区に移転を予定している京都市立芸術大学を中心に、「崇仁小学校をわすれない」ための活動が始まった。「ミカエル君」もその一環である。「ミカエル」というのは、土地の歴史を振り返り、見つめ直すという意味だそうだ。当初は小学校を「おみおくり」するプロジェクトのひとつとして考えられていたが、「おみおくり」といってしまうと取り返しのつかない喪失感を覚えてしまう。そこで「見送る」というより「見返る」ことになったらしい。たしかに、その方が寂しくはない。見送る相手は遠ざかる一方だが、見返るのはここにいる自分自身である。
実は、このミカエル君の顔は小学校跡地のすぐ南を走るJRの線路に向っている。JRの乗客は北の車窓から束の間に彼の顔を見ることができる。ミカエル君は土地の来訪者をお見送りしつつ、土地の記憶を見返るための装置である。もし東海道線や新幹線の列車が東から京都駅に入るとき、あるいは東に出て行くとき、北側の小学校の校庭をご覧になるなら、ミカエル君の大きな顔とともに、そこに土地と住民との記憶が確かに存在したことに思いを馳せることができるだろう。

写真(上)は制作中のミカエル君と伊達伸明氏(2019年11月)

Exif_JPEG_PICTURE1月26日のミカエル君(伊達伸明氏提供)