新年あけましておめでとうございます。
あまり持ちネタがなく、正月だというのにいつもの盆踊りネタである。すみません。
最近はすっかり関西の盆踊りに馴染んでしまったが、若い頃東京から転勤でこちらにきた時には驚いたものであった。
私が若かった時分の東京の盆踊りというのは、だいたい東京音頭か炭坑節のようなもので、それもレコードやテープに吹き込まれたものに合わせて踊るというものであった。
それが、関西に来てみると、櫓の上にはバンドと音頭取りがいて、ライブで演奏していたのであった。
本学の研修施設がある黒田村(京都市右京区京北)は桂川最上流部の山村であるが、ここの盆踊りもライブである。電化されたバンドこそ出ないが、村の歌自慢の方が、「丹波音頭」を唸るのである。人形浄瑠璃のネタなどを織り込んだ、おっとりとした踊り歌であった。丹波音頭はこの京北(京都市)や亀岡市(京都府)、南丹市域(同)では美山町などには愛好家が残っているようだが、次に触れる江州音頭や河内音頭に比べると地域的な広がりは限られ、地域の保存会の人が中心になって伝えているである。通信教育部のスクーリングでこの村に出入りするようになって、ローカルなダンスミュージックの存在に触れたのである。
江州音頭は、近畿圏で広く踊られている盆踊り歌である。初代桜川唯丸師が1980年代に始めたファンキーでエレクトリックなスタイルのものが広く知られているが、原型は太鼓と錫杖によってリズムを刻むシンプルなものであり、発祥の地である滋賀県ではこうしたスタイルを固守している家元筋も多いときく。
私自身は、3年ほど前からエレクトリック音頭バンド「サンポーヨシ」に加入し、京都市左京区内の盆踊り復活事業に関わったりして、江州音頭に親しんできた。
そうしたところに舞い込んできたのが、共同研究のお誘いであった。京都大学の深町加寿恵先生を代表者とするその研究は、「里山における自然資本の意識化とネットワークのための地域参加型研究」というものである。自然共生型の生業・生活スタイルが残る滋賀の里山地域をフィールドに、そこでの人々と風土の関わりを可視化・意識化しようというものである。生態学、農業土木工学、ランドスケープ学、イラストレーション等、さまざまな分野の専門家が関わっている。
私はそこで何を考えたかというと、地域の人たちが持っている地域像を、歌と踊りの形にして共有したらどうだろう、というものであった。具体的には、アンケートの形でその集落の「自慢」を挙げてもらい、それをワークショップ形式で歌詞にし、江州音頭の節に乗せて歌い踊ろう、というものであった。その地域の共同的な風土イメージを歌い込み、踊ることは、そうした風土を身体で確認することでもあり、地域における風土像の共有と定着にも寄与するものであると思われたからである。これは研究目的である環境知の意識化、ネットワーク化に他ならない。滋賀県だし江州音頭の本場だし…と思ったのである。
今年の夏に地元で提案を行ったところ、当初は戸惑いの声があがった。それにはこっちがびっくりしたのだが、「私たちが江州音頭を歌っていいのか」といったものであった。村でおめでたい出来事があるたびに伊勢音頭が歌われることなどは、事前のヒアリングでも聞いていたし、先行研究にも書かれていた。伊勢音頭は地域の人たちにとって「わたしたちの歌」なのである。江州音頭も夏の盆踊りのたびにみんなで踊られる、親しみのあるもののはずなのだが、それを歌うのは専門の音頭取りであり、自分たちが歌うものではないのでは、というのであった。幕末に東近江で発祥して以来、真鍮家や桜川を名乗る家元筋によって江州音頭は伝えられてきた。各地の盆踊り大会の櫓には、こうしたところからプロフェッショナルの音頭取りがやってくるのである。「わたしたちの歌」ではなかったのである。
実際、江州音頭を歌ってみようとすると、その難しさに驚く。節回しも難しいのだが、まず歌の構造が非常に独特なのである。普通の歌というのは、一番、二番、というような一定の繰り返し構造を持っている。江州音頭はそうではないのである。「ヨイトヨイヤマカドッコイサノセ」という囃しから始まり、一の節の呼ばれる旋律に繋げ、最後は落としと呼ばれる下降型の旋律で受け、また「ヨイトヨイヤマカ〜」に戻るという規則はあるものの、このユニットの長さはまちまちなのである。ではそれはそのユニットが無構造だというわけではない。むしろ事情は逆で、平節、祭文節、役節に分類される20種類くらいありそうな断片的な小旋律(4小節程度)を選び、並べて曲にする、という精密な構造を持っているのである。江州音頭は古い盆踊り歌と、関東地方の修験者の語り芸であった祭文が合体したものといわれ、祭文節の部分のリズムの取り方、唸り方に強い特徴がある。これもまた難しい。こうしたことを知ると、専門的な修行が必要なものであり、なかなか素人が歌いこなすことの難しいものなのだということがわかってくる。黒田村の丹波音頭は地域社会と強く結びついたものだったが、江州音頭は、滋賀(江州)という地域性はあるものの、より専門家された芸能集団の組織化の中で伝統となってきたものなのだ。
こうした江州音頭を民衆の手に、と考えた人はいた。1960年代に滋賀大学の草川一枝(体育教育学)という方が、祭文の部分の難しさなどを問題視し、簡略版を製作して村田英雄氏に歌ってもらって「新江州音頭」としてレコード化したという記録がある。どうやらこれが滋賀を席巻したことがあったらしい。この後に出たNHKの「日本民謡大観(近畿編)」には、
近年になって世の好尚が変わり祭文臭いことが多数の唱和に適さないというので、昭和三十二年四月に八日市の商工会議所が歌詞を新作し、節の方も祭文のデロレン〜を削除し、三味線入りのものに改調し、「新江州音頭」として普及に努めた結果、現在では祭文入りの古調をうたえる人は殆どいなくなってしまい、実質的に「江州音頭」は亡びた
とまで書かれていた。
「新江州音頭」は歌いやすく踊りやすいものではあったようだが、もともとの江州音頭のディテイルを消去した、味気ないものになってしまった。
ここには、家元芸から「わたしたち」のものに、という方向性の危うさが端的に顕れているように思う。結局、民衆的なものというよりは、一般的で商業的な、ローカルな文化性を欠くものができてしまったということなのである。もっとも今では音頭取りがライブで歌う盆踊り大会で、「新江州音頭」が歌われることはほとんどなく、祭文入りの伝統的なスタイルのものもよく歌われ、踊られている。ただ、ここにはローカルなものを、より開いた交流場面に、いい形で活かすにはどうしたらよいのかという問いが、なお横たわっているのである。
そうこうしているうちに、最初は戸惑いもあった地元ワークショップは熱を帯びてきている。村自慢アンケートで出てきたいろいろなものごとが、さまざまなコミュニケーションを生み出しているのだ。地元の「あるあるネタ」ということである。比良山を背に琵琶湖に向かうその村の人々は、さまざまな形でその特有の風土と触れている。そうした中で甘受された、水のありよう、生き物の姿、祭礼のようすなど、いろいろなものが、アンケートから浮かび上がってきた。そうした中で際立ったものとして、琵琶湖上の満月の風景があった。暗い湖面に月明かりが映えて光の道のように見えるのだという。多くのアンケート回収票にこの記述が見られ、それを見た地元の人たちもみな、そうそうこれこれ、素晴らしいんですよ、と楽しそうにいう。
この風景イメージの共感喚起力はすごいものがあって、何も言われなくても目に浮かぶ。そこに住んでいないものでも、ここにはそういう風景をともになる暮らしがあるのだ、と了解されるパワーがある。
アンケート結果を整理しながらそんなことを考えていた折り、12月23日(月)の京都新聞でこんな記事を見た。一面まるまる使った、「古典に親しむ 新古今和歌集の森を歩く 案内人小林一彦」という連載で、その日の主題は、藤原家隆の
志賀の浦や遠ざかりゆく波間より凍りて出づる有明の月
というものであった。冷え冷えとした空気の感触や光の透明さなど、アンケートに書かれた以上の経験がここには定着されているが、それ以上に、家隆が遠い過去に、村の人たちが見るのと同じ月を見ていたということが、まっすぐに飛び込んできた。
江州音頭にせよ何にせよ、伝統は何らかの社会的な構造の生成と関わっている。それが、場合によっては抑圧的に感じられたり、余所事のように感じられたりすることもある。しかしこの風景の体験は、地域の内外だけでなく数百年の時間の層を貫く共感力を持っている。この二つを比べることはできないが、時間の超え方にもいろんな形があるのだということなのだと思う。こうした風景の経験をみんなで踊る歌の中に置くとき、何が起こるのか、大変楽しみになってきているのである。この研究については、また時を改めてご紹介したいと思う。
盛り上がってきた私たちの新しい江州音頭づくりだが、村の盆踊りに来てくださっている江州音頭の家元の方には、まだきちんとその取り組みについて説明できていない。伝統を継承している担い手と、横紙破り的に関わろうとしている私たちの間には、まだ一定の緊張関係がある。基本的な姿勢としては、家元衆が受け継いできた精妙な江州音頭に対して、絶えず敬意を表していきたい。その上で、この地域像を足元から共有していく試みが継承者の方々にも理解され、ローカルな音楽文化づくりに繋がっていけば幸いだと思っている。
最後にわが江州音頭バンド「サンポーヨシ」をご案内しておく。楽しんでいただければ幸甚です。
https://easyandnice.bandcamp.com/album/sampoyoshi
参考文献
草川一枝(1963)「郷土民謡「江州音頭」の歴史的考察とその改善」滋賀大学学芸学部紀要(13)150-145
日本放送協会(1966)「日本民謡大観(近畿篇)」