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アネモメトリ -風の手帖-

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#313

負の遺産と向き合う
― 池野絢子

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(2019.03.31公開)

ローマの中心部を少し北に外れて、MAXXI(国立21世紀美術館)を横目に見ながら西へ進んでテヴェレ川を渡ると、「フォロ・イタリコ」と呼ばれる一角が見えてくる。競技場などのスポーツ関連施設が集中しているこの一帯は、かつてファシスト政権下に建設されたもので、当初は「フォロ・ムッソリーニ」と呼ばれていた。
その入口付近に今も聳え立っている建造物が、図1に示したムッソリーニのオベリスクである。カッラーラ産の大理石を用いた真っ白なオベリスクの表面には、「ムッソリーニ統帥」という言葉が刻まれている。独裁者を顕彰する目的で建てられたオベリスクが、そのまま同じ場所に保存されているという事実に、違和感を覚える人もいるかもしれない。私が昨年訪れたときは夕刻、ちょうどフォロ・イタリコのスタジアムで開かれていたサッカーの試合が終わる頃で、家族連れや友人同士、たくさんの人がオベリスクの横を通って帰路に着く姿を見ていた。

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このオベリスクに限らずイタリアでは、ファシスト政権時代に建設された多くの建築やモニュメントが現在も公共空間に残されており、その建築物の多くは、用途を変えながら使用され続けている。たとえば最もよく知られた例は、ローマ南西にあるEUR地区だろう。EURとは、1942年にムッソリーニが開催を企図していたローマ万国博覧会(Esposizione Universale di Roma)の開催予定地のことである。この計画は戦争によって実現しなかったが、そのときに建設された建築は、いまなお残されている。なかでも「イタリア文明館」は、方形の形態と連続するアーチの織りなす外観がとりわけ印象的だ。上部には「詩人、芸術家、英雄、聖人、思想家、科学者、航海者、移住者としての人民」という、ムッソリーニが1935年のエチオピア侵攻に際して行った演説の一節に由来する銘文が刻まれている。
イタリア文明館は、修復を経て、2013年からはフェンディ本社によって貸借されており、また一階部分は各種展覧会のために一般に公開・利用されている。歴史を重んじるイタリアらしいと言えばそうなのだろう。とはいえ、古代でも中世でもない、近い過去の負の遺産をどのように扱うべきなのかという問題は、イタリアにあっても、改めて議論されるべき余地があるのかもしれない。実際、イタリア下院議長を務めるラウラ・ボルドリーニが、ムッソリーニのオベリスクに刻まれた文言を消去すべきだと提言して、議論を呼んだのは数年前のことである。

2017年、『ニューヨーカー』誌に「なぜイタリアにはこんなに多くのファシストのモニュメントがまだ建っているのか?」と題された記事が掲載され、大きな反響を呼んだ。記事を書いたルース・ベン=ギアットはニューヨーク大学の歴史学・イタリア研究の教授である。彼女によれば、戦後、法的整備によってナチスのシンボルが抑圧されることになったドイツの場合と異なって、イタリアにはそうした明確な指針がなかった。連合国管理理事会は、ムッソリーニの胸像のように、明らかに政治的でかつ「非美的な」モニュメントの類(この基準がどのように設けられたのかも興味深いところだが)だけを破壊すべき対象とする報告書をまとめたが、あとのものの処分は曖昧なままに残されたのである。激しいレジスタンス運動と、戦後の共産主義の伸長を経てなお、なぜイタリアはファシストのモニュメントを疑問視することなくそのままにしておくのか。それが彼女の問題提起であった。
彼女の議論には、イタリア・メディアから様々な批判が寄せられた。たとえば日刊紙『イル・ソーレ・24・オーレ』に掲載されたフルヴィオ・イラチェの記事では、モニュメントや建築物の価値は後世になって判断されるものであり、それらが共同体の記憶に関わるものである以上、歴史を好き勝手に書き換えるようなことがあってはならないと述べられている。イラチェの議論はモニュメント維持派の典型的な主張であると言える。要するに、より危険なのは、独裁者の痕跡を残すことではなくて、むしろ「不適切」とみなされる遺物を破壊するなどして歴史自体を白紙に戻すこと、つまり「ダムナティオ・メモリアエ」(古代ローマ時代の刑罰で、反逆者に対して、その存在に関する一切の記録を抹消する行為を指す)を行使することの方なのだという主張だ。対して、ベン=ギアットは、残すことによる「リスク」に警鐘を鳴らす。彼女はファシズム時代の建造物をすべて打ち壊すべきだと言っているわけではない。彼女が言おうとしているのは、もしもそれらのモニュメントがどのような歴史的背景のもとに生まれたのかを人々が覚えておかなければ、それらは極右勢力によって再び政治的に利用されることになるかもしれない、という未来のリスクなのである。

両者の意見のどちらかに軍配を挙げることは、私にはできない。だが、ベン=ギアットがこのような問題提起をして議論が活性化されたことは、2018年の連立政権発足後のイタリアの状況に鑑みても、意味のあることだろう。ただし個人的には、ベン=ギアットの意見には、全面的には賛成できない。ファシズムと合理主義建築をそのまま同一視して良いのか、公共彫刻と歴史的建築を同列に論じて良いのかなど、理由はいくつかある。さらに、彼女の言う「リスク」に対してはまた別の疑問を覚える。モニュメントが再び政治利用される事態はそもそも起こりえない、と言いたいのではない。むしろ、モニュメントの利用は極右勢力に限った話ではなく、もっと様々な可能性があると思うのだ。別の政治的立場から利用され、正反対の意味づけをされることもありうるだろう。造形物というのは、文脈を欠けば別の意味内容を持ちうるものだからだ(この点については、以前のエッセイも参照されたい)。

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歴史の負の遺産と、いま、どのように向き合うべきなのか。容易に答えの見つかる問題ではないが、最後に、ボルツァーノ市の事例を一つ紹介して、このエッセイを終えようと思う。ボルツァーノは、イタリア北東部、オーストリアとの国境にほど近くかつて南ティロルと呼ばれた地域の都市である。同市にある図3の建築物は、現在は財務局として利用されているが、もともとは1939年から42年にかけて、ファシスト党の地方本部として建設されたものだ。その正面ファサードには、彫刻家のハンス・ピッフラーダー(1888-1950)の手になる、高さ2.75メートル、全長36メートルという巨大なサイズの浅浮彫が飾られている。中央で、騎馬に乗った姿で一際大きく描き出されているのがムッソリーニである。雄々しく右手を挙げて「ローマ式敬礼」をする彼の足もとには、「信じること、従うこと、闘うこと(credere, obbedire, combattere)」という標語が刻まれている。騎馬上のムッソリーニの左右には、第一次世界大戦から同時代に至るまでのファシズムの勝利の物語が、13の場面によって表象されている。
明らかにムッソリーニとファシスト党を顕彰する意図を持つこの巨大な浮彫の処置をめぐって、ボルツァーノ市のあるトレンティーノ=アルト・アディジェ州の行政当局は、長い議論を重ねてきた。そして2011年、この浮彫と建築物への介入をテーマにしたコンペを行い、広く一般から案を募ったのである。コンペに優勝したのは、アルノルト・ホルツクネヒトとミケーレ・べナルディという芸術家二人組が提出したプランである。彼らの考案した介入方法はごくシンプルなものだった。すなわち、浮彫の中央部分にネオン管で「従う権利は誰にもない」という一文をイタリア語、ドイツ語、ラディン語の三ヶ国語で示すというものだ。プランは専門家との協議のもと、修正を経て2017年に実現された。
ネオン管の言葉は、ドイツのユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントが1964年に語ったラジオ・インタビューでの発言から取られている。「従う権利は誰にもない」、その言葉が、もともとの浮彫に刻まれたファシストの標語「信じること、従うこと、闘うこと」を念頭に置いたものであることは明らかだろう。イタリア語の標語に対し、ネオン管の言葉はボルツァーノ県の公用語であるイタリア語とドイツ語、および一部地域で話されるラディン語の三ヶ国語で表記されており、それによって、イタリアとドイツの狭間にあったこの地域の複雑な歴史を代弁してもいる。つまりこの「介入」では、当のモニュメントを破壊するのでも、そのまま保存するのでもなく、その上に言葉を重ねることによって、モニュメント自体を「無効化(depotenziamento)」することが図られているのである。
もちろん、このプランに対しても批判は存在するし、今後の議論の推移は見守る必要があるだろう。とはいえ、歴史に向き合うための試みの一つとして、学ぶべきものがあるように思う。現代人にとって過去の遺物は、街中に存在してもしばしば「見えない」ものである。それが見えるようになるのは、その対象と自分とのあいだに何らかの関係性が結ばれるときだ。忘れてはならないのは、モニュメントに意味を与えるのは、つねに今現在を生きる私たちの方であるということだ。

興味を持たれた方へ:
Ben-Ghiat, Ruth,“Why are so many Fascist Monuments still standing in Italy?,” The New Yorker, 5, Oct., 2017.(閲覧:2019年3月6日)
https://www.newyorker.com/culture/culture-desk/why-are-so-many-fascist-monuments-still-standing-in-italy

Irace, Fulvio,“Il populismo giornalistico che ignora i capolavori dell’architettura fascista,” Il sole 24 ore, 9, ott. 2017. (閲覧:2019年3月6日)
https://www.ilsole24ore.com/art/notizie/2017-10-09/il-populismo-giornalistico-che-ignora-capolavori-dell-architettura-fascista-085827.shtml?uuid=AENr8VhC&refresh_ce=1

ボルツァーノ市のプロジェクトの詳細は、以下の公式サイトをご覧ください(英語版サイトあり)。
BZ’Light on dictatorships
http://www.bassorilievomonumentale-bolzano.com/en.html

図版キャプション:
図1 ムッソリーニのオベリスク、ローマ、1932年
図2 イタリア文明館、ローマ、1938-1953年
図3 旧ファシスト党地方本部、ボルツァーノ、1939-1942年、2018年の様子

図版出典:
図1、2、筆者撮影
図3 Wikimedia Commons(2019年3月26日閲覧)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Fassade_finanzamt_bozen_2018.jpg