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#303

ミイラ肖像画
― 加藤志織

ルーヴル美術館展

(2018.01.20公開)

大阪市立美術館において1月14日まで公開されていたルーヴル美術館展を見てきた。この企画展では、ルーヴル所蔵の肖像芸術に焦点が絞られ、時代も地域もさまざまな絵画・彫刻・装身具が、それらの制作目的ごとに分けて展示されていた。
人の顔の特徴を写し取った肖像画あるいは肖像彫刻は、古より経済的に成功した資産家や社会的に重要な地位や役職についた人物を称賛し、彼あるいは彼女の業績を人々の記憶に永く留めるためにつくられたと考えられている。しかし、仔細に見ると、こうした一般的な理由以外にも、さまざまな動機があることに気づく。
本展では、まずプロローグにおいて、「マスク」と「肖像の起源」に光が当てられる。これら2つにどのような結びつきがあるのか一般的には見出しづらいが、古代エジプト社会においては死者の顔を示すためにマスクが用いられることがあった。しかし、あの世での顔が生前のそれと同じである必要はなく、むしろ、それは個人的な容貌の特徴を表すのではなく、しばしば理想化、普遍化されている。
とはいえ、古代において特定の人物の容姿を写すことがなかった訳ではない。ローマ帝国によって支配されていた2世紀後半から3世紀のエジプトで描かれた葬礼用(ミイラと共に埋葬)の肖像画が、それである。エジプトのファイユームなどで多く発見され、ミイラ肖像画の名称で呼ばれることもある。また古代ローマなどでは実在する人間の外見的特徴を忠実に再現した彫刻作品なども数多く彫られている。実は今回エジプトの葬礼用肖像画が一点出品されており、それを鑑賞することが私の目的であった。
ルーヴルの古代エジプト美術部門が所蔵する《女性の肖像》(所蔵番号:N2733.3)である。この種の肖像画には、支持体の板に、顔料を蜜蠟で溶いて描くエンカウスティック技法が用いられた。油彩のように細かな描写や微妙な色調を表現することはできないものの、これによって描かれた画面は非常に堅牢であったため、まさに物故者の在りし日の姿を永遠に留め続けることができた。
特筆すべきは、そこに表現された個性豊かな顔である。件のマスクが、故人の容貌とは関係なく理想化・普遍化されていたのとは大きく異なり、こちらは現代のわれわれが慣れ親しんでいる肖像のように、人物の特徴をよく反映し、顔には影も付けられている。こうした単独の人物の胸から上をほぼ正面から描く点については、5世紀末から一千年以上続いたビザンティン美術に見られるイコンと共通する。ただし、イコンがキリスト教の聖人を表した礼拝用の像であったために厳格な面持ちで表情なく描かれているのに対し、ミイラ肖像画は同じく無表情ではあっても眼や口の表現から生気を感じ取ることができる。
若い頃、西洋美術史の書籍で初めてミイラ肖像画を目にしたとき、この溢れ出る生命感に心を奪われた。なぜなら時間的・地理的に大きく隔たった場所で制作されたとはいえ、その肖像画の中に現代のわれわれとなんら変わるところのない温かみのある人間が存在していたからである。おそらく、こうした生気は、その肖像画が死者と共に葬られていることと関係している。この世に別れを告げた者に来世が訪れるように、すなわち死した肉体に新たなる命を吹き込むための壮気に満ちたものでなければならなかったのだ。
この点でミイラ肖像画は、われわれに馴染みのある通常の肖像画と異なる。後者は画中の人物を讃えることにくわえて、その死後にはゆかりのあった人々が描かれた者の遺徳を偲び、その記憶を喪失させないことが目的とされる。その一方で、前者はあくまでも鬼籍に入りたる人物が甦るため、亡くなった当人のために制作されるからである。