(2018.07.15公開)
二〇年近くも毎年学生の名簿を見ていると、名前には大きな波のような流行のうねりがあることに気づく。珍しい「キラキラネーム」ではなく、あ、この名前が(あるいはこの文字のつく名前が)今年は多いな、と気づくのである。
今年の女子の名前では「七海」(ななみ)さん。この名前をみると、クイーンの「輝ける七つの海」Seven Seas of Rhyeという曲を思い出してしまう(歳がわかるなあ)。きらびやかで壮大な曲だ。初出は詳らかにしないが、七つの海とはおそらくこの島国にはない発想だろう。はじめてふれたのはヤマザキマリの『PIL』というマンガで、ひたすら英国のパンクロックに憧れるヒロインの名前としてだった。いかにもグローバル時代にふさわしい名前である。
「音」の字のつく名前も増えた。「オン」と読む場合も「オト」と読む場合も「ネ」と読む場合もある。音韻的に柔軟性があるから使いやすいのだろう。しかし「恵」とか「陽」とかの字と異なって、「音」はそれ自体の性格はあまりもたない、どちらかという抽象的な文字だと思う。世界のすみずみに響け、という願いがこめられた名前だろうか。今年度は「湖音」さんという名前に出会った。読み方は「コト」。美しい名前だと感心した。湖それ自体は音がしないけれども、なみなみと水をたたえた山上の静かな湖が思いうかぶではないか。
男子では「颯」のつく名前が目立つ。「サツ」と読む場合も「ソウ」と読む場合もある。薫風颯颯。五月の風のようにさわやかな男の子に育ってほしいと願わない親はいないだろう。私の名前は「隆久」だ。いかにも昭和の高度経済成長期を反映した名前で(「西郷どん」の一文字を取ってつけたという口伝がある)、それはそれで親の願いがこもっているわけだが、颯の字がもつ風が吹き抜ける感じは微塵もない。
「えっ」と思ったのは、「柊」の字を使った男子の名前を複数みたときだ。読み方は「シュウ」または「トウ」。「柊」はヒイラギだ。あのとげとげした葉っぱを、どうして名前に使うのかと最初は不審だった。しかし見直すと、木偏に冬で、字面として凛々しい。クリスマスや節分の飾りとして使われることからもわかるように、冬でもつやつやした常緑樹で、生命力に満ちた植物である。なるほど名前に使われても不思議ではない。
名前はいつしか実体を備える。もうすぐ年号が変わる。三十年前に小渕官房長官が示した「平成」も、そのときは何の感慨もなかったが、三十年のあいだにしっかりとその実体をはらんでしまったように思える。来年はどのような名前の波がくるのだろうか。